2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧
沿岸の人びとの場合には、海を交通路として他地域へ逃亡することは、広く行われていたはずです。近代に至るまで、列島沿岸の漁民の世界は、内陸とは異なる広汎なネットワークを持っていました。朝鮮半島との間にも庶民レベルで交流があり、九州や中国地方の…
やはり倭王権の支配地に移住をするわけですから、その管理下に入ることはやむなしとされたと思います。とくに、朝鮮における王朝の興廃のなかではじき出されてきた人々は、一方では故国の再興のために倭王権の援助を必要とし、一方では倭王権のなかで高い政…
それはないでしょう。例えば東国へ開発のために移住させられた人々は、その集団内では母国語で生活していたと思われます。しかし行政との関係や、周辺地域の住民との交渉上、次第にヤマト言葉を使用せざるをえなくなってゆく。長い時間をかけて、日常生活の…
通史的な理解は、常に例外を生み出し、それを排除することで成り立っています。南北朝時代も、どの時代、どの地域、どの階層に注目するかでずいぶん異なる様相がみえてきます。いわゆる士大夫階級に注目すれば、胡族王朝に抑圧されて江南へ移動してきた北人…
現状地域の固定化にのみ腐心するか、躍進を狙って冒険的施策を試みるかで、そのあとの同勢力のポジションがまったく違うものになってくる、ということでしょうね。そうした政治方針に対して領民から不満が生じるか、生じても理解を得ることができるかどうか…
賢人云々は、移民集団のなかから才能のある者、人望のある者を指導者・管理者に抜擢するということで、集団の混乱を鎮め安定を促進させる機能を期待したものです。例えば塢堡のような集団であれば、移動のなかで頭角を現した指導者が帰属後も引き続き統括役…
そうですね、まさに明治の北海道開拓移民などは、徙民政策の一種でしょう。そのほか、近代におけるハワイ、南米、アジアなどへの国策移民も、(強制ではありませんが)徙民政策と考えて差し支えないと思います。移民・植民に関する研究は、現在世界的に盛ん…
ほとんどが正史の記録で、行政文書などを基礎にしつつ、後継の王朝において編纂されたものです。批判的筆致が強くなることはあっても、不用意な誇張は後世の非難を生じますので、ほぼ正確と考えてよいだろうと思われます。
当時の史料を読んでみると、例えば胡族王朝は文人官僚として優秀な漢民族を抱え込み、当初は後者に憧憬をみせつつも、次第に胡族アイデンティティを前面に押し出してゆきます。その際、漢族/胡族の間で種々の軋轢、紛争が起きているのは確かですが、それは…
まず、前近代の国家と、近代の国民国家とは、明確に分けて考える必要があります。確かに、国民国家が構築したナショナル・ヒストリーは、個々の地域に生きた人々の持つ地縁意識、血縁意識を延長したものではありますが、それらとの齟齬も大きく、統一には大…
例えば列島の縄文早期末〜後期には、集落の離散/再統合が繰り返されます。その際に、再統合の際の作業として人骨の再埋葬墓が出現するのですが、これは集落が結集する際、それぞれが所持していた祖先の骨を一緒に埋葬し、統合の象徴としたものと考えられて…
ホモ・モビリタスの説明でもお話ししましたが、そもそもアフリカから人類が世界へ次々と移動していった、そのことがまずすべてを物語っています。クロマニヨン人の出現が3万年前であり、農耕の開始が1万年前前後とすれば、人類はそれまでの2万年の間、移…
考えてみますと、例えば統一秦末期の群雄割拠状態でも、数千数万の武装集団が長距離を移動していますね。移動の過程で複数の村々から物資の提供を受けたり、あるいは掠奪を繰り返すグループなどもあったようです。しかし塢堡のような事例は、あまり無理なこ…
花粉の分子構造は比較的強固で、種によって特徴ある形態をしており、例えば1万年以上前のものでも、いかなる植物種のものか判別可能です。古気温曲線を構築する場合、あるいは周辺の植生を復原する場合には、長く低湿地の状態にある場所を選ぶのが望ましい…
一神教の問題は、今後扱うことがあると思いますが、世間で一般的にいわれている一神教=唯一神信仰・閉鎖的、多神教=開放的との位置づけは、多く政治的なデマゴーグか誤りを含んだ言説であることを、まずは知るべきです。宗教学や神話学の世界では、とくに9…
人道や人命に関わる問題は、非常に難しいですね。これはもう、意見交換をしてゆくしか方法がないでしょう。例えば、ある国の社会・文化的慣習がある階層の人々、ある性別の人々を抑圧し、その生命や安全な生活を危険にさらすことがあるならば、それが、同国…
3回目の授業でも補足的にお話ししましたが、〈物語り〉は、人間の言語行為全般を分析、精査するための概念で、恐らく現在人口に膾炙しているような、フィクション性が強いとか、政治的な色彩が強いとか、恣意性が強いといった要素のみを持つものではありま…
ああ、史実かどうか、という点では、たくさん虚構が含まれますね。行基や空海などのスーパーマンになれば、日本全国のいずれにもその足跡を認めることができますが、行基は畿内から外へは出ていません。空海は讃岐の出身で、唐にも渡っていますが、帰国し入…
上でも述べましたが、物語りは人間の通常の言語行為なので、すべてが「無理矢理のこじつけ」ではありません。むしろ人間は、物語りによってしか事象を把握できないのです。また現実と向き合うことが激しい痛みや苦しみを伴う人にとっては、「無理矢理のこじ…
トラウマ記憶や後付けバイアスによって作られた物語りは、個々人の防衛機制として働くものなので、多く社会的機能を発揮するものとしては蓄積されない、共有されない種類のものと思います。それらが人々の口の端にのぼるときには、やはり苦痛の経験とは無縁…
「結び」ですね。エンディング、まとめです。これがなければ、それこそ「ネバー・エンディング・ストーリー」になってしまいます。
3回目の授業でも述べましたが、史実であるか否かということは、近代科学としての歴史学においては重要な判断基準です。しかし、そこで措定されている史実は、ある一定の価値・基準に基づいて判断された物語りに過ぎず、例えば今後より理論・方法論が発展し…
「逃げ道」の定義については、上の質問に対する回答もみながら、少し考え直してみてください。そのうえでですが、「反復=取り戻し」は、先人たちの生において理不尽に断たれてしまった可能性や、権力ある支配的な言説によって排除され、あるいは隠蔽されて…
実証史学における史実という概念が、一定の物語りとして紡ぎ出されていることは確かです。しかしだからといって、factに向き合おうとする真摯さや誠実さを放棄してしまえば、マイナスの意味での諦念に満ちた相対主義に陥るだけです。文化人類学などでも、か…
去年発表した論文に、中国西南少数民族のヤオ族が持つ歴史観について研究したものがあります。そこでは、たとえばぼくらが「民族のアイデンティティーを保つためには絶対必要」と考え、事実ヤオ族も華やかな文書にして持ち歩いている始祖神話を、必要がなく…
確かに、歴史学者にレビューをさせると、そうした評価になることが多いですね。不正確な云い方だと思います。その「歴史上の人物について述べた本」が、史実であることを中心に据えた伝記ならば、内容を分かりやすくみせるため、あるいは飽きの来ない娯楽性…
うーん、前半のような話はした記憶がないのですが、何か誤解があるのでしょうか。現代歴史学は、いわゆる政治の世界、あるいは国家レベルで生み出されたものではなく、『八重子の日記』のようなエゴ・ドキュメント(個人的記録)を含め、いかなるものをも史…
大事なことですね。しかし、いわゆる〈伝統〉というものは、そうした形で時代ごとに変異してきたのだ、ということも重要です。現在一般に妖怪として認知されているものの多くは、江戸時代を遡りません。また近代の江戸懐古趣味や、場合によっては水木しげる…
まず、定住することによって得られる安らぎというのは、定住社会によって構築された心性ですので、移動性社会においては意味をなしません。人類が、その誕生から1万年前までの長期にわたって培ってきた移動性社会においては、定住することのほうが危険が大…
うーん、やはり学問的に誤りが判明したとか、倫理的に問題がある場合、即座に対応し是正するのが、研究の理想的なありようであり、教育の理想的なあり方であろうと思います。その言葉の使用によって、誰かが理不尽な抑圧を被るのであれば、なおさら。民主主…