2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧
正確には、祝祭的時空間がハレ、日常的時空間がケ、喪葬的時空間がケガレ、ということになります。一説には、ケとは日常を生きるためのエネルギーのことで、毎日消費をされ続け、やがてケの枯渇した状態、すなわちケガレとなる。これを日常的状態に復帰させ…
確かにぼく自身にも、そうした感想を抱く出来事は多くあります。例えば、震災関係の授業を行ってリアクションをみても、その惨状を想像できず、利己的な観点からしか捉えられない学生も多い。メディアで採り上げられる少年犯罪の様子など、それを行ってしま…
そうですね。テレビ等々で報道されているのは、本当に「きれいなところだけ」ですから、ご遺体の散乱するような現実の光景は、とても表現しきれるものではないでしょう。アウトプット自体に、大きな困難さが伴います。トラウマについては、かつては「話すこ…
上の方の質問にも通じますが、自分/他者を二極分化して考えるのが問題なのだろうと思います。他者を理解することが、結局は自分を理解することになる。逆に、自分を理解することによって、他者への理解も深まってゆく。以前、フロイトのところで少し触れま…
例えばアメリカの歴史学研究は、それに近い構造を持っていますね。例えばデリダ、フーコー、ブルデュー、ギアーツなどさまざまな思想家の理論・方法を学びながら、対象と目的に応じて使い分けてゆく。確かに、いろいろな理論を当てはめて考えてみることで、…
「落としもの」としての実践的過去を追うとした場合、それは心性史のようなものを指すのでしょうか。それとも新たなジャンルではなく、既存のジャンル・研究にも結論として実践面を付与しろ、ということでしょうか。
ホワイトは、現在における歴史学の意味、人が生きることにおいて歴史学は何を提供できるのか、を問題にしているのでしょう。もちろん、歴史学的過去はひとつの前提でしょうが、それを絶対視することなく、また現在へ従属させることもなく、社会へ還元する方…
もともと、現在科学が担っている世界、宇宙についての説明付与という機能は、かつては宗教が担っていました。そういう意味では、もともと科学と宗教は近しいものです。近代においては、スピリチュアリズムやオカルティズムが科学と同居していました。エジソ…
大変に重要な問いかけです。これまでの講義の枠組みは、近代学問のディシプリンを前提としていますので、主体とは確立された近代的〈個〉以外の何ものでもありません。しかしご指摘のとおり、その範疇では多重人格者等々捉えきれないものもでてきます。また…
中国の正史というと、皇帝を正当化する内容と誰もが思ってしまうのですが、内容をより詳しくみてみると、そればかりではないことが分かります。王や皇帝を批判的に記述していたり、直諫を呈している場合も少なからず存在するのです。史官の理想としては、君…
大伴氏の祖神は天忍日命、物部氏の祖神は饒速日命で、ともに高天の原に由来する天神ですが、そのパンテオンを構成する神であることは確かでも、皇神の一族ではありません。大伴氏は難波から紀伊にかけての領域を本拠とし、物部も河内を本拠にしていましたの…
部民制は、必ずしも渡来人のみを編成したのではありません。「阿部」は「阿倍」と同じですので、授業でお話ししたように、供御の職掌を担う人々であり渡来系氏族ではありません。中臣氏も、氏族としての枠組みは中国的史官を前提にしていると考えられますが…
葛城氏系統という意味では、蘇我氏が壬申の乱に至るまで政権の首座を務めていますが、葛城臣自体の系統は振るいませんでした。蘇我氏も含めて、天皇制という王位継承のシステムが確立していない飛鳥時代には、大王家と血縁関係を結ぶのは、メリットはもちろ…
『書紀』や『古事記』が政治的に改変する必要がなく、また中国大陸や朝鮮半島の情況、後の時代の状態と比較してみて問題がなければ(例えばば、奈良時代の現実では極めて低い次元に留まっていた技術が、『書紀』ではとても高等なレベルで記録されているなど…
『三国志』魏書/東夷伝/倭人条などをみますと、邪馬台国には身分が存在しており、下級の者が上級の者に対してとるべき作法が決められていたようです。以前に講義でもお話ししたとおり、上記の記述には陳寿の政治的視線がみてとれますので、どれほど事実性…
少し時代が降りますが、祭祀を司る中臣と忌部の間には、神祇官の職掌をめぐって争いが起きています。鎌足以降に突出した中臣氏が、神祇祭祀の要職を独占するようになったためです。氏族制の頃には、それぞれの氏族が王権奉仕の歴史のなかで培ってきた職掌を…
例えば、崇仏論争の果てに起きた物部守屋討滅戦のときには、大伴・巨勢などの諸豪族・諸王子たちからなる連合軍を、蘇我馬子が率いています。それぞれの豪族たちは私兵を抱え、大伴・物部らの武力が大王の直轄軍をなしていたと考えられますが、上記討滅戦は…
例えば、敏達朝の寵臣三輪君逆です。三輪氏は、古来三輪山を奉祀してきた祭祀氏族です。本拠地の隣接していた阿部氏とも協働し、阿倍比羅夫が東北を征討する際には、三輪神を勧請して臨んだとも伝えられています。同氏はもともと群臣協議の場に列する氏族で…
合議制は、何も鎌倉時代だけではありません。日本の歴史のなかでは、むしろ合議制の行われなかった時代の方が少ないといえるでしょう。古代においても、群臣の協議の結果に大王/天皇が承認を与えてゆく、という形式が一般的でした。その協議を統括する氏族…
起こりうる情況は、何度かありました。室町幕府の足利義満の時期、安土桃山時代の織田信長の時期、そして江戸幕府の時期ですね。とくに江戸幕府は、将軍自体が神格化するような宗教的権威を整えていったので、開国の混乱期を乗り越えれば天皇制は終わってい…
まずひとつは、推古大王が長生きをしたということでしょうね。厩戸王をはじめとして、何人かの有力な大王位継承者はいたのでしょうが、崇峻殺害に連なる政治的情況として、誰もが即位できない特別な事情を抱えていたのでしょう。例えば厩戸王は、蘇我氏の身…
例えば、画文帯四仏四獣鏡、三角縁仏獣鏡などが出土しています。ともに古墳時代、4世紀後半頃のものです。神仙と神獣を配したのが神獣鏡ですが、こちらは神仙を仏の姿に置き換えたものです。中国の六朝後半には、仏教と道教との交渉が進み、お互いがお互い…
もともと諡号とは、亡くなった王・皇帝などに対し、その治世や業績を象徴するような称号として贈られたものでした。原型である古代中国王朝では、その業績に応じて一定の称号が贈られており、最上級のものは「文」「武」、最下級のものは「霊」などと付けら…
やはり、中国律の方が厳罰主義で、日本はその実状に合わせさまざまに緩和されています。もともと、律に貫かれているのは、中国の儒教的な価値観、倫理観でしたので、それを共有していない日本列島では、なぜそれが罪悪になるのか分からない、処罰されるのか…
現在出土している遺物としては、滋賀県大戌亥・鴨田遺跡で発見された、3世紀中頃の「卜」字の刻書のある土器が最古かなと思います。ただしこれは、文字として認識されていなかった可能性も高いですね。いずれにしろ、朝鮮諸国や中国王朝と外交関係にあった…
そういわれるとつらいですね。かつて、「寺で暮らしていた」ときは、左から右まで、『赤旗』『朝日新聞』『毎日新聞』『神奈川新聞』『読売新聞』『産経新聞』を総覧していました。現在は、通常は限られたソースでしか情報を得られていません。しかし特定の…
いろいろな意味で残念な話ですね。知りもしない人を無碍に批判するのは、「他者表象の倫理」上問題があるでしょうが、それでも上に書かれたことのみから判断すると、その指導教員の方は大学という研究教育機関の意義を根本的に取り違えています。大学は学生…
素晴らしいですね。歴史的な経緯をきちんと追いながら、お互いの主張を検証し、そのうえで協同的な関係をいかに見出すかを考えてみてください。
なります。歴史学の倫理が過去を現在に従属させることになるかどうか、その点も踏まえてしっかり考えてください。
当然の疑問ですね。質問の主旨とはちょっと違うかも知れませんが、例えば、現在高度に発達している化学や物理学の知識を、皆さんはどれだけ持っているでしょうか。また、それは皆さん自身が実験によって解明し、きちんと実証した事柄でしょうか。日進月歩で…
やはり中国の史官の場合、「神」というより「天」でしょうね。後に、地上の官制を反映して天にも天帝の官制が想定されるようになると、人格神的要素も介入してきますが、本来は、そうした人間的なもの一切を超越した概念であろうと思います。それに対する意…