2012-01-01から1年間の記事一覧
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【テーマ】 講義で扱ったトピックのなかから関心のあるものを選び、自分でテーマを立てたうえで、先行学説や史資料等を調査し、考察して結論を導き出しなさい。・自分なりの問題観心を持つこと、文献は批判的に読み込むこと、事実/見解を区別すること、他人…
これは、群れで行動するのが普通である狼が単独で行動していることから、群れをなすことをよしとしない、より孤絶性が強調された形で形容がなされたのです。群れから離れた狼は本来無力であることから、大きなリスクを背負ってなお孤独であること、孤高の存…
ベオウルフは、熊の解説の際にもお話ししたように、bear-wolfであり、「熊狼」を意味します。こうした英雄叙事詩は、ゲルマンの神話や古ヨーロッパの信仰に取材していますので、むしろキリスト教が排撃した多神教的要素を色濃く残しています。熊であり狼であ…
授業でもお話ししたように、キリスト教の言説は牧畜文化を核に成り立っています。牧畜にとって狼は敵であり、ゆえに悪魔と重ね合わされてゆくのでしょう。ちなみに、人類学者の谷泰氏らの見解では、人類史のうちで牧畜が開始されたのは西アジアであり、家畜…
うーん、確かに、方角としては北狄ですね。しかし漢文化においては、狄よりも戎の方がイメージがよいのです。狄には、匈奴をはじめ数々の征服王朝があり、暴力的なニュアンスがつきまとっているためでしょう。それに対して戎は、初めての統一王朝を形成した…
遊牧民族であるモンゴル族にとっては、鹿は狩猟によって得るものであり、やはり野生の象徴です。鹿の角は大地の豊饒を表し、美しい毛皮は、衣服や敷物の料として重宝されました。以前にお話ししたチペワイアンがカリブーを、インディアンが山羊を神聖視した…
かつて、犬の祖先はジャッカルであると考えられていた時期もありましたが、現在では狼説が主流です。ハスキー犬やカラフト犬など、とくに北方系の犬には狼の血が色濃いようであり、狼の人に飼われたことを確認できます。日本では、近世以降に幾つかの記録が…
狼猟は近世各地で実施されるようになりましたが、食用として狩猟されたわけではなく、あくまで狼害を抑止するためでした。日本では弥生時代から犬の肉を食べていたので、狼をまったく食べなかったわけではなかったでしょうが、肉としては臭みが強く美味では…
桃太郎の敵は鬼ですが、陰陽道の考え方では、東北すなわち丑寅の方角を鬼門とし、よくないモノが侵入してくる入り口と考えます。それと対称的な方向が、未申(ヒツジサル)=南西、酉(トリ)=西、戌亥(イヌイ)=北西などですが、このうち日本にいない未…
日本では、恐らくは稲作の本格化する弥生時代から、鹿を神聖視することが始まります。祭祀の道具である銅鐸などに鹿の姿が描かれ、最終的には春日大社や鹿島神宮、厳島神社、諏訪大社などで、鹿を神の使いとする考え方が定着してゆきます。鹿の角の生え替わ…
直接的に関わっているというより、熊が助けてくれたという不思議が、神仏のもたらした幸運だという考え方でしょう。熊自体に神性を認めるような描写はないようです。
ロンドンやシートンの作品は、ロマンティシズムでは括れないリアリティを持っていると考えています。双方とも、ゴールドラッシュに沸くアラスカで起きた自然と人間との戦い、ニューメキシコにおける牧場主と狼との戦いを前提にしているからです。まったく牧…
アマラとカマラの話ですね。最近では、この話は捏造であるとする説が有力になっています。実際は精神に障害を抱えた児童であったようですね。しかし、人間の子供を他の動物が養育することがまったくないのかと問われると、明確に否定することもできないよう…
これは難しい問題です。それを中心的主題に据えて研究している、といってもいいかもしれません。人間は環境に適応するために「文化」を構築する生物ですが、そのことと関連するのではないでしょうか。皆さんも考えてみてください。
天狗の姿形は修験道の山伏をモチーフにしていますので、方相氏とは関係ありません。なお、方相氏が鬼になるというのはそのとおりで、追儺においては、中世から方相氏が追われる役になってしまいます。それは熊と同様、方相氏が両義性を持っていたためで、そ…
色彩の意味付けは主に五行説によってなされます。赤は火の色、黄色は土の色、青色は木の色ということになります。ほかに金は白色、水は黒(玄)色です。このうち、ふつう最もランクが上なのは黄色で、土は方角的に中央を表し、中華=皇帝に通じるためです。…
これは、周縁の方を意味する「隈(クマ)」ですね。しかし熊自体に周縁の意味が含まれるとすると、ほぼ同義ということにもなります。
前近代に女性が差別的に扱われるのは広く世界的にみられる現象ですが、その要因のひとつとなっているのがケガレです。日本では、死のケガレに対して赤不浄などとも呼ばれ、血のケガレを意味するものとされました。しかし、本質的にはその血が月経、もしくは…
紹介した史料はペットの感覚に近いですが、穿った読み方をすれば、仔熊を育てるアイヌのように、我が子に近い感情を持っていたとみることもできます。経済力の問題については、その後この熊がどのように飼われていったか、途中で手放されたものか殺されたも…
これはどうなのでしょう…寡聞にして知りません。また調べておきます。右利き/左利きの問題については、人間と同様に左利きの個体も存在したと思われます。しかし、右利きが優位で、一般的に右掌が重宝されたということに過ぎません。
これは以前にも回答しましたが(性愛と食との関係についても言及しました)、前近代社会、民族社会では、神聖なものほど食の対象になりうるのです。その生物の能力を認め、それを自らのなかへ吸収したいと考えるからです。首狩りやカニバリズムの根底にも、…
いまお話ししている狼についても、これを「鬼」と捉えた史料が存在します。もっとも、これについては狼の別称であるオイヌを、オニと聞き違えたのだという説もありますが…いずれにしろ、人間にとって周縁的存在であり、野生を代表するような畏怖の対象は、神…
「鬼」という漢字の原義は死体で、転じて死霊、祖霊を指すようになりました。日本ではこれにオニという訓を付けますが、これは陰陽の陰=ヲンを表すとか、さまざまな説があります。角を生やして虎のパンツを履いて…といった常套的イメージができあがるのは、…
もちろん、個体や生物種が異なりますので、一定の区別はされています。それは人間でも同じことで、ヤマト王権の段階では、地域的・文化的差別が行われました。九州南部の人々は「熊襲(クマソ)」と総称されましたが、中央の人々による文化的差別でありなが…
はい、アイヌの世界では、狼送りやフクロウ送りもあります。しかし、鹿や鮭などは送りの対象となっていないようで、やはり生命へのランク付けは存在するようです。しかし、送りは極めて広い文化事象であり、人間の葬儀も送りの一種です。事実、中国少数民族…
人間が、自分の身に合うだけの食べ物を作る農耕が、自然に対する圧力の最も少ない営為だと思います。しかし農耕は、どんなに小規模なものでも、必ず自然環境を改変します。その善し悪しはともかく、同じ作物を同じ場所で作り続けていれば、肥料を加えなけれ…
日本ではあまり使用しませんが、漢籍には例があるようです。儒教思想から獣をみた場合の位置づけといえるでしょうが、本来の儒教は人間/動物の区別を厳密に付けますので、ランクの低い獣が義を知ることの特異さから呼称されるものといえそうです(よって、…
講義でお話ししたとおり、実際の熊と遭遇する機会が減少する一方で、もともと熊に対する言説のなかにあった親近性ばかりが肥大し、「かわいい」要素が情報として支配的になってしまっているからでしょう。いいかえると、自然を征服したという幻想に無自覚に…
文明をある時点まで戻す、という発想は、残念ながら現実的ではないでしょうね。現在の原発に対する反応をみても、人間は進んだ先から引き返すことがなかなかできない、豊かさや快適さを手放すことができない生物であるようです(まあ、生き物とはそうしたも…