2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧
獣姦の問題については、確かにこれをタブーとする文化は広汎に存在します。しかしこれは、タブーを設けることで人間/動物の峻別を図ろうとしたもので、必ずしも抑制が必要なほどそうした行為が流行したわけではなかった、とみられています。むしろ例示した…
いろいろありますねえ。これからの授業で紹介してゆこうと思いますが、皆さんがいちばんよく知っているのは、「鶴の恩返し」でしょう。いわゆる「鶴女房」として昔話に多くみられます。厳密にいうと、生業的な狩猟に関わる「活きた」動物の主神話ではなく、…
現代社会においては、無闇に動物の自由を奪うことは、それこそ虐待として法律に抵触します。動物園は、希少動物の生態を研究しその保護に役立てる、一般の人々の知的欲求に応える、人間と動物とが平和的に触れあう機会を提供する、といった建前のもとに存在…
基本的に、アニミズムは人間もその考え方の対象としています。第1部でお話しした、王の力を次の王に移すといった考え方は、アニミズムやマナイズムに基づくものです。しかし、〈動物の主〉神話が動物と人間との間を縛る規制であることからも分かるように、…
うーん、それは逆ですね。殺害することに対して後ろめたさ、何らかの罪悪感を持っているからこそ、その行為を正当化しようとするのです。そのストレスに耐えられないからこそ、ストレスを感じなくても済むように物語を作るのです。正当化の動きがないのは、…
〈動物の主〉神話が機能している社会においては、動物/人間の間の相違は本質的ではなく、常に交換可能、入れ替え可能な存在であるとみなされていました。近年ではこれを、〈対称性〉と呼ぶことが多くなっています。動物の持つ特殊な能力の源泉は毛皮にある…
「神話を用いたのはなぜか」という考え方自体が、実は、近代の論理的思考に大きく影響されているんですね。民族社会・前近代社会においては、神話が道徳・倫理・法律など、さまざまな役割を果たしていたのです。それは、我々が普通に用いる「論理」とは、ま…
それでは逆に、アニミズムを信仰した人々は何を食べていたのでしょうか。宗教の歴史のうち、もっともプリミティヴな形態がアニミズムとすれば、その信仰が支える生命活動のあり方は、人間の自然状態に最も近いはずです。それは、あらゆるものを食物にし、し…
こちらは質問ではありませんが、よいリアクションだと思ったので掲載しました。現代社会を狩猟採集社会に戻すのは不可能ですが、せめて我々を取り巻く生命に対し、食物や害獣、マスコットとしてではなく、それぞれ自己の生命を全うするベクトルを持った生物…
『もののけ姫』の作品世界のなかでは、コダマのみがシシ神と感応しうる存在です。乙事主やモロなどの巨大動物神は、シシ神の思惑を推し量ることさえできません。人間が森林に対する征服者とすれば、動物神たちは森林の「原住民」に当たり、ともに自然に寄生…
仏教は、生まれ変わり死に変わりといった輪廻のあり方を苦しみと捉え、そこからの解脱=成仏を最終目的とします。草木成仏論も同じことで、植物が輪廻の鎖を断ち切ることを意味するのです。よって、質問にある命の連鎖と草木成仏とは関係がないことになりま…
以前にここに書いたと思うのですが、在来の神祇信仰の文脈で、伐採した樹木の精霊を精霊の世界へ送る祭儀は存在しました。現在でも普通に斎行されていますし、大規模なものは神社の式年造替で行われています。伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮、諏訪大社の御柱…
樹木伐採関係の神話伝承のなかでも、主に伐採に対して樹木が抵抗を示す、激しい場合は伐採者に病を与えたり怪我をさせたり、死に至らしめたりするというものがあります。それは、過度な伐採への抑制機能を持っていたと思われます。なかでも、山林における過…
日本列島の森林の歴史にも時代による変化があり、縄文から現代に至るまでずっと草地ばかりだったわけではありません。それなりに森林が豊かな時期もあり、その点で樹木信仰も醸成されたのです。しかし神木等々の信仰に限っていうと、実は、周囲にほとんど山…
仏教では、万物を有情/無情に分ける把握の仕方があります。前者は心あるもので生命を指し、後者は心のないもので無生物を指します。衆生は前者のみを言い換えた表現ですが、初期の仏教は、草木を無情の方に分類していたのです。これは、殺生戒の遵守を通じ…
そのとおりですね。寺社の建築に巨木を用いることは、その樹木が神聖な意味付けをされていても、いやされているからこそ使うべきと正当化されてきました。例えば中国南北朝の段階で、寺院を建てるための材木を山の神が喜んで差し出す、という話が僧伝などに…
うーん、これはどういう意味なんでしょうね。成立云々のことは関係なく、健康に良いのだからそれでいいではないか、という見解なのだとしたら、もう歴史学自体を勉強する意味がありませんね。歴史学とは、その過程を通じて結果を捉えなおす学問なのですから…
日本列島でいま食べられてる米は、日本の風土に合うように、また「日本人」の口に合うように品種改良してきた結果の産物ですので、それは環境に適した作物ということになるでしょう。いえ、厳密にいえば「適合させてきた」作物であり、水田とその周辺環境も…
はい、すべてがすべて水の祭祀に関わりがあるわけではありません。なかには、沖の島のように嶋とその周辺環境を神聖化したものも存在します。火山を崇拝したものなど(まさに火ですね)、対極に位置するといってもいいでしょう。しかし、古墳時代の祭祀遺跡…
よく日本人を無宗教であるというのは、あくまで西欧の価値基準に従って、キリスト教を宗教の典型とみなして述べるものです。日本列島にはその環境に根ざした宗教の形があり、それは必ずしもキリスト教的である必要はありません。日本列島では古くから自然信…
本当の意味での共生とは何でしょうか。いずれにしても、「共生」の定義が問題になります。人間が、自然環境を自分の生活に適した状態へ作り替える(文化構築)生き物であり、それが生存戦略であるとすれば、相互不可侵の状態で共栄を目指すことはそもそも不…
その地域環境本来の植生を無視して、林業に役立ちそうな杉林だけを植える、というのは確かに問題です。花粉症の一端はそこにあるでしょうが、同症状はそれに自動車の排気ガスに含まれるカーボンなどの影響が加わった複合汚染であり、恐らくは都市住民の食生…
そうですね、『もののけ姫』に登場するシシ神の森は、屋久島等々に取材して造型したものですから、できるだけ人間が足を踏み入れられないような、畏怖すべき自然の姿を描こうとしたのでしょう。しかし結局、ラストではシシ神の森はなくなって、里山にみるよ…
自然を扱ったものとしては、コミック版『ナウシカ』の方が深く複雑で、自然/人間の二項対立を描いた『もののけ姫』より優れている、とぼくは思います。『ナウシカ』の自然=世界は『もののけ姫』のそれより強靱で、腐海を生み出しつつも浄化と回復を続け、…
例えば、授業で扱った『桃太郎』など、江戸時代を通じても内容に変化が生じます。よく知られているのは、川上から流れてきた桃から桃太郎が生まれてくるパターンと、桃を食べて若さを取り戻した爺さん・婆さんが子供を産む、というパターンの2つが確認され…
白神山地については、弘前大学の長谷川成一氏の研究によって、近代以前の植生が詳細に明らかにされています。それによると、17世紀前半の白神山地は針葉樹の群生が中核をなしていたものの、授業でもお話しした近世初期の大開発によってヒバやスギなどが盛ん…
古い時代でいえば、例えば漁業の発展です。現在の日本の食文化には魚食の占める割合が大きいですが、その基礎が作られたのが、温暖化の環境変化に適応しようとした縄文の食文化なのです。氷河期が終了して気温が上昇してくると、これまで大型哺乳類が跋扈し…
人間が手を加えることで現状を維持していた森林などは、その「保全」の取り組みを止めてしまうと、様々に綻びが生じて植生が変質してゆくことになります。それは、生きている樹木ならば当たり前のことで、草木の生まれては死んでゆくさまが繰り返されるうち…
日本で本格的な植林が行われるのは、近世以降に過ぎません。それまでの山地利用は、ほぼ自然の回復力に頼ったものでした。よって、人間による開発が自然の回復力を上回ると、禿げ山のような状態が長期にわたって持続したり、土砂流出、河川の天井川化による…
もちろん一部には、聖域を侵蝕すること、神木とされるような樹木を伐採することへの畏れ、抵抗は存在しました。私は以前、「樹木が伐採に抵抗し、切り口から血を流したり、伐った人間が病気になったり頓死したりする」伝承の類を、北海道から沖縄まで所在調…