2011-01-01から1年間の記事一覧
そう考えてもいいかと思います。日本の漢文に出てくる場合は、たいてい、『切韻』や『広韻』、『一切経音義』など、中国の音韻辞書からの引用です。
直接的な回答にはなっていないかもしれませんが、ネコの語源のひとつに数えられる「ねうねう」という鳴き声は、『源氏物語』においては「寝よう寝よう」、すなわち性交渉をしようという誘いの言葉だと解釈されています。これなどは、猫の特徴を体現した言葉…
院政末期に成立した『信貴山縁起絵巻』には、奈良の都の庶民の家に、紐でつながれた猫の姿が描かれています。平安中期までには宮廷で愛玩されていた猫も、中世が始まる頃には庶民のもとで飼われていたと考えられます。紐飼いという飼い方も宮廷とほぼ同じで…
眠り猫は、眠ったふりをして鼠を捕まえる様子から辟邪の効力があるといわれたり、猫が眠っていられる太平の治世を象徴しているといわれたりしますが、いずれも、平安時代の猫観からそう離れてはいないと思います。招き猫については、豪徳寺などにその由来が…
個人的には、以前お話しした「異類互酬譚」における、毛皮を脱ぐことで獣が人間になり、毛皮を着ることで人間が獣になることの関連ではないかと考えています。猫が人間のような所作をするときには、手ぬぐいでほっかむりをしたり、羽織をはおったりしていま…
十二支自体は殷帝国より確認できますが、これに動物を当てはめたのは、後漢の王充撰『論衡』物勢篇が初見です。後に、猫が鼠に対し無用な殺生をしたため釈迦が十二支から除いた、鼠に騙されて十二支の競争に参加できなかった、などの話が形成されますが、そ…
それ自体は確認することができませんが、すべてがレトリックであったとしても、猫を「人間の生まれ変わり」とするような認識が存在したことは動きません。むしろ、読者を惹き付けるための虚構であったとする方が、菅原孝標女の想定読者に上記のような認識が…
定説的には、当時、夢に獣をみるのは妊娠の兆だとする考え方があったのではないかとされています。鼠や兎など生殖能力が高い動物は、死と再生のシンボルとみなされるなど、性や出産と関連づけられることが多々あります。猫もサカリの際の行動が特徴をもって…
中国で一般的な助数詞ですね。動物を数える場合には、匹(疋)・頭・隻などが用いられ、猫のような小動物には主に隻が用いられます。
このあたりは、詳しく考えてみると大変に面白いところだと思います。当時の貴族層の世界認識の仕方が、具体的にみえてきます。「陰陽の…」はいうまでもなく陰陽五行説ですが、律令官人・貴族の一般的な教養を示しています。儒教は動物を人間と明確に峻別しま…
史料から充分にうかがうことはできませんが、宇多天皇や一条天皇が、猫の不思議な魅力にとりつかれていたことは確かでしょう。とくに、一条天皇が命婦のおとどに位階を授与したり、道長が人間の通過儀礼である産養を行ったりしたのは、猫が人間の生まれ変わ…
上に答えた質問と重複しますが、やはり外来種のイエネコが希少な存在であり、中国文化を背負った動物であったからでしょう。野にある獣と区別しうるものであったからこそ、雅な位置づけが与えられたのだと思われます。猫以外の動物で位階を授与されたものは…
今後講義でも少しお話ししますが、ヨーロッパ世界においても、長らく猫は両義的な存在でした。古くエジプト文明に始まる神聖化がみられる一方、そうした古ヨーロッパ的な心性は、キリスト教文化においては悪魔的なものとして貶められます。民話的世界におい…
基本的に、前近代の日本で繁殖したイエネコには、現在のように品種改良された結果生じた形質的相違は、ほとんど存在しなかったと考えられます。あったとすれば毛色・模様、尻尾の長短くらいでしょう。ゆえに、あまり種類による印象の相違などは確認できませ…
『宇多天皇御記』では深い黒色が愛でられていますが、『枕草子』では白黒の斑がよいとされています。絵画に描かれるのは、やはり斑の猫が多いようですね。いずれにしろ、ヤマネコのような茶褐色に黒縞といった模様より、もっとはっきりした色合いや柄が好ま…
宮廷で飼育されはじめたのは、まずはその高級性によるところが大きかったと思われます。金沢文庫の史料で説明したとおり、猫自体が、実は将来されてくる中国文化のひとつに組み込まれていたのです。最先端のものとして重視された中国文化の一端が、猫という…
根本的な問いで重要ですね。「民族」という概念と同様に、「固有種」という概念も、実は非常に恣意的なものです。「民族」も、肌の色や身体的な特徴などによって自然科学的な概念に思われていますが、アフリカにおける人類の誕生から各地域への派生、交配と…
中国においても、猫の第一の役割は鼠害の防止でした。猫たちは人間との「共存」のなかで、稲、蚕、書籍などを鼠から守ることを仕事としていたといえるでしょう。中国の文人たちの詩文のなかにも、「狸奴」という標記で、鼠対策で猫を手に入れる様子や、かか…
人間が罪業によって来世いかなるものに生まれ変わるのかは、古代の人々も真剣に関心を示した事柄であったようです。中国の六朝時代には、この問題について直接的に記した『成実論』が翻訳され、当該部分のみに特化した疑偽経典も作成されるに至りました。う…
確かに、犬や蛇のときには追い払われたのに、ネコのときにだけ供え物の食事にありつけたという描写は、何らかの恣意性を感じさせますね。明確な理由にはなりませんが、例えば、ネコが両義性・境界性を帯びた獣ではあったものの忌避はされていなかったこと、…
面白い点ですね。ひとつ考えられるのは、説話への求心性を高めるための演出であるということです。この説話自体には、広国が本当に神秘体験で得た物語であるという見方と、事実か虚構かはともかく、広国の冥界訪問譚を仏教布教の手段として僧侶が援用したと…
狩猟を娯楽として楽しむ、紳士然とした主人公たちの顔は、自然を征服したと思い込んでいる文明の象徴です。それがしわくちゃになっているのは、野生によってそうした文明のあり方が否定されたことを暗示しています。命だけは助かり、文化的生活に復帰した主…
野生の目線を感じさせるネコは、文化の側に立つ人間にとって、常に自らのポジションを相対化するベクトルを持つことになります。我々の価値観自体を動揺させる存在なわけで、「不吉」とはそうした心性に基づく位置づけなのでしょう。人間の理解を超越した存…
北海道や沖縄は、いわゆる本州とは少し印象を異にする食文化が展開しています。それは、食文化を支える生業体系、社会・経済体系の差異によるものと思われます。沖縄は、元来南島的な狩猟採集文化の発達した地域でしたが、その後長らく中国的文化圏に属し、…
確かに、生物個体としての原型を留めている「食材」を料理することは、生命について考えるうえでの貴重な機会になるでしょう。日本文化においては、四条流の庖丁儀式をはじめとして、料理を行ううえでの儀式作法が存在する場合もあります。これは、料理が完…
これも深い。生物=生存機械説によって、生物の生存目的を自らの遺伝子を後世に残すことと考えれば、確かに去勢も殺害と同等の意味を持つことになります。しかし、一方でそのような考え方は、生物を種として捉えるあまり個体の尊厳を軽視してしまいがちにな…
もちろん、自己の罪業の正当化と、神々による救済の考え方は繋がっていますね。詳しくは、私の論文「負債の表現」(『アジア遊学』143、2011年)を参照していただきたいのですが、人間の感じる負債の念は、生存の贈与のレベルと存在の贈与のレベルとで相違が…
なかなかこれは、深い考え方ですね。例えば、近年のホミニゼーション(ヒトの誕生、ヒト化を考える学問領域)研究においては、自己の欲求・利益を抑制し共生的社会を構築することがヒト化の重要なパラメータのひとつとみられています。ヒトに最も近いチンパ…
一応、本文も含めての字数としますが、オーバーしてしまっても構いません。場合によっては、本文を2万字として、脚注・参考文献リストをその枠外として考えていただいても結構です。
徳川綱吉の「生類憐みの令」とそれ以前の殺生禁断令を比べると、確かに、その徹底度の面では大きな相違があります。しかし徳川幕府の歴史をみてみますと、綱吉の法令発布にもそれなりの前段階、文脈の存在することがみえてきます。例えば秀忠期の慶長7年(1…