2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧

中国への仏教伝来は、中国の歴史のなかで大きな出来事であるが、「子不語怪力乱神」を標榜する現実主義の中国に、どうして仏教の伝来が可能だったのだろうか。

中国への仏教伝来ですが、確かにまず、〈現実主義〉的なところからその受容が始まっています。例えば、六朝初期の士大夫ら知識人の間には、〈清談〉と呼ばれる文化がありました。儒教から老荘思想に至る種々の思想、思考の論理を用いて、高度な哲学的会話を…

資料に挙げられている経典類には、如法の呪術を行えば、「智慧ある男子」「美しい女子」を生むことができると出てきます。これは、男子/女子で求められるものが違うのだ、という認識でよろしいでしょうか。

まさにそうですね。卜占や呪術の類は、中国戦国の頃からクライアントとの交渉が行われ、求める方向、霊験などが模索されてゆきます。よって、卜占書の凶事の項目をみれば、当時の人びとが何を不安に思っていたのか分かりますし、吉事の項目をみれば、何を望…

中世末期から近世初期にかけての略奪林業によって破壊された環境は、その後の幕府・各藩の植林政策によって多少なりとも回復した…とのことですが、これは1666年の「諸国山川掟」を指すものでしょうか。

「諸国山川掟」については、果たして全国的な開発抑制策であったのか、淀川水系の治水目的に限定されるものではないか、との指摘がなされています。しかし、明らかにこれを受け継ぐ(授業でも触れた)貞享の禁令や、伐採禁令・土砂流出抑止策が諸藩から打ち…

草山・芝山の歴史には驚きました。世界遺産にもなっている熊野は、日本列島のなかでも緑の多い地域とされていますが、ここは何らかの形で保護されたのでしょうか?

熊野に限らず、寺院や神社の境内あるいは所領は、神仏を荘厳する道具立てとして、寺社が自らの用途に用いる以外、許可なく伐採することは禁じられていました。それらは神霊の宿るところである、無理に伐採すれば神仏の罰が降る、といった説明もなされてきた…

〈集合的アムネジア〉は、環境問題だけでなく、他の文化的・社会的な事象として確認できるかと思います。詳しく知りたいのですが、何か参考になる文献はありますか。

ひとつ重要な著作として、 アルフレッド・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ—忘れられたパンデミック—』(西村秀一訳、みすず書房、2004年〈原著1989〉)があります。いわゆるスペイン風邪(スパニッシュ・インフルエンザ)の大流行をアメリカからの視点…

草山が当時の人々の生活にとって必要不可欠なものであったということについて考えたとき、所有者は果たしてどのように決められていたのか疑問を抱いた。

概ね、個人所有ではなく入会地(共同体所有)です。共同体所有の土地と環境問題について考えた有名な概念に、ギャレット・ハーディンの〈コモンズ(共有地)の悲劇〉があります。どういう考え方かというと、例えば、複数の共同体成員が牛を放牧している牧草…

人間が生活してゆくのに自然は不可欠であるとすれば、どのように向き合ってゆくのが最適なのでしょう。環境史を研究している学者たちは、どのように考えているのでしょうか。 / 〈共生〉とはそもそもどのような状態なのでしょう。

この問題は、単に政治や社会、経済の問題としてのみ捉えるのではなく、ヒト以外の生命をどのように考えるのか、われわれは彼らとどのような関係を取り結んでゆくべきなのかという、倫理の問題でもあります。ぼくは仏教者でもありますので、あらゆる生命に優…

列島文化=自然との共生といった見方や、里山=伝統的農村景観のような言説は、一種イデオロギーやナショナリズム的であると思われますが、実際のところはどうなのでしょうか?

すべてがそうだ、とはいえませんが、ナショナリズム的側面を持ちうることは確かです。1990年代の後半に、オーストラリア大学の日本史研究者テッサ・モーリス=スズキが、〈エコ・ナショナリズム〉という言葉で、現代日本の自然観の一端を表現しました。彼女…

現在の日本史の教科書に環境史に関する記述が少ないのは、どのような意図によるものなのでしょうか?

ひとつには、教科書編集における保守性が原因でしょう。環境史という領域が、学界において一定の地位を得たのはそう古いことではなく、またその視点を援用すると、政治史や国家史の知見、社会史や思想史の知見にさまざまな変更を迫る事態が生じます。授業で…

先生は国民国家=ネイションにアイデンティファイしていないとのことですが、だとすればどのような政体が可能とお考えですか。

はい、もう何度かお話ししたことがあるような気がしますので、こちらとこちらに関係の回答を掲示しておきますから、まずは該当ページをご参照ください。基本的には、国家のような統合的政体ではなく、集団の規模を第一次産業の地産地消が可能な範囲に縮小し…

『呉越春秋』などにみる、母の脇(胸)を割って禹が生まれてくる話は、釈迦の誕生譚と類似している気がしました。何か関係があるのでしょうか?

釈迦が摩耶夫人の脇から生まれてくるという神話は、女性の腋下、もしくは服の袖口が生殖器の暗喩と捉えられていたことともに、女性蔑視に基づく生殖器忌避が関わるという、矛盾した情況から生み出されてきました。また、出産によって母親を苦しませない、と…

逸文の信頼性は、どのように検証するのでしょうか。

まず前提として、掲載されている類書に対する信頼性があります。歴代の『華林遍略』『修文殿御覧』『芸文類聚』『太平広記』『太平御覧』などは、王朝の正史と同様、王朝の威信を賭けた国家的事業として、あるいは勅を奉じ、唐代を代表する(場合によっては…

海外では、復讐譚の名作として『モンテクリスト伯』や『オリエント急行殺人事件』がありますが、日本では復讐より大切なものが出てきて、結局復讐は達成されずに終わるパターンが多い気がします。 / 仏教では復讐は肯定されないのでしょうか。復讐者自身を主人公にした説話などはありますか?

仏教説話については、確かにそういうパターンが多いかもしれませんね。仏教ではそもそも、復讐はまやかしの現実に束縛されている煩悩=執着に過ぎず、それに振り回されている限りは悪業をなす、もしくは悪業を振りまく結果にしかならないので、仏教的には必…

『源氏物語』において、葵の上を殺してしまう六条御息所の生霊のような存在も、討債鬼と呼ぶのでしょうか。

討債鬼、索債鬼の「債」とは、説話を読めば明らかなように〈負債〉のことです。よって厳密には、前世の負債を決済しなかった借り手に対し、貸し主が〈不具〉の子供になって生まれ、前世で取り立てられなかった分を今生で奪い取ろうとする存在をいいます。前…

レポートのテーマについてですが、「当該アクターの抵抗する動き」というのは、アクターがモノの場合、第三者のみせる抵抗でもよいのでしょうか?

モノをアクターと考える場合は、そのモノが他のモノ、動植物、人間などとの関係においてみせる動き、そうと認識される動きは、あくまで関係のなかで捉えられることを重視してください。これはモノだけではないのですが、あらゆるアクターのあらゆる動きは、…

レポートのテーマについてですが、「批判的に叙述する」とは、参考文献の筆者の意見を批判すればよい、ということでしょうか。

いわゆるクリティカル・リーディングを意識せよ、ということだと考えて下さい。大学で実践する学問、とくに社会科学系や人文科学系の学問においては、クリティカル・リーディングは基本です。研究文献や史資料に書かれていることを鵜呑みにするのではなく、…

レポートのテーマになっている〈素材化〉は、「人為的美化」「人為的誇大」と理解できますか。

アクターとして、本来多様な性質を持っているところを、人間が一定の目的のためだけに使用すべく、その他の要素をすべて排除してしまうのが〈素材化〉です。それは物理的な面でも、あるいは精神的、心性に関わる面でも生じえます。その結果が、確かに人間に…

古代で扱った聖徳太子の史料にしても、中世で扱った元寇の八幡宮関係の史料にしても、客観的事実ではない内容のものが多く残っていると知りました。歴史のなかには、このような祈りや奇跡を含む、主観的な記述が多く残っているものなのでしょうか?

とても重要な質問だと思います。歴史叙述の根幹に関わるような問題ですね。実は、東アジアにおける歴史叙述は、その根幹に、卜占的な未来予測の要素を含んでいます。それはすなわち、中国古代、殷王朝に開始される甲骨卜辞です。もともとは狩猟採集段階にお…

いわゆる天武系の歴代天皇によって形成された律令国家において、「聖徳太子」が歴史上重要な人物と位置づけられ、『日本書紀』であのような記述になったのは、律令国家が天皇親政を基礎とする政権だからでしょうか。仏教の文脈における重要性も、多少は加味されていますか?

もちろん、天皇の存在が日本律令国家には不可欠ですので、そもそも厩戸王という「王族」が聖人のモデルに選択されたのは、天皇を中心とする中央集権体制が構想されたことと関係します。しかし、実在の厩戸王が、蘇我氏と連携しながら仏教興隆に貢献したこと…