2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

四ッ谷周辺に怪談が多く残っているのは、この辺りが武家屋敷やお堀に囲まれていたからだけなのでしょうか?

もちろん、それだけとは限らないでしょう。例えば現在、雅子妃が愛子内親王と学習院初等科に通学してゆく鮫ヶ橋周辺は、かつて、一大スラム地帯として有名な場所でした。丘陵と谷とが交錯する地形で、丘の上には中級以上の武家屋敷や寺が並んでいるのですが…

「四谷怪談」の四ッ谷は、やはり地名のことなんですか?

そうです。鶴屋南北の書いた戯曲「四谷怪談」は、現在も地名が残る左門町が舞台で、赤穂浪士の食い詰め浪人田宮伊右衛門が自らの出世のために悪行の限りを尽くし、その犠牲となった妻の岩が亡霊となって復讐するという筋です。その成立については幾つか研究…

いま、授業では「藤原京が作られた経緯」をやっているんでしょうか。なんだかテーマが分からなくなってきてしまいました。

大学の講義は微に入り細に入り、また複雑な経路をたどったりするので、常に全体の流れを頭に入れておかないと分かりにくいかも知れません。シラバスはちゃんと呼んでいますか。テーマと15回の授業計画が出ていますので、それを念頭に置いておいてください。…

陰陽道が中国のものではなく、日本で作られたというのは意外でした。仏教が導入されるときは軋轢があったのに、陰陽道は官職にもなっているのは、やっぱり日本で作られたからなのですか。

講義でも説明しましたように、陰陽道自体は日本で構築されますが、陰陽説・五行説は中国のものです。陰陽寮は、この中国的知識に基づき、天文の観察・暦の作成・時間の管理を主要な業務として、その他そこから派生する占い(式盤を用いる式占)や呪術を行い…

持統は天智と天武に挟まれてどんな気持ちだったのだろう。

どんな気持ちだったのでしょうねえ。日本の実証主義歴史学は、そうした感情や心性を「学問的でない」と斥けてしまいがちですが、実は我々が過去に迫るためには、そうした感受性が大変重要であると思います。ただし注意しなければならないのは、「古代人の感…

昔、歌人がもてはやされたのは言霊信仰も一因だったとされているが、なぜ言霊という思想が出現したかが疑問だ。 / 言霊信仰は日本独自の文化なのでしょうか。それとも中国から入ってきたのですか?

言霊は、必ずしも日本固有の思想ではありません。世界的に広く認められる、シャーマニズムの範疇に属する信仰です。宗教学や人類学の用語で、やはり原初的な宗教形態を表す言葉に「マナイズム」があります。これは、あらゆるものに生命と活動の本質としての…

藤原京の範囲はとても広いですが、京の中には何があるのですか。商人などもいて町のようになっているのでしょうか。

藤原京の周辺地域は農村に直結しており、農地や庶民の家々が広がっていたと思われますが、藤原宮や朱雀大路の周辺には貴族・官人の邸宅、市、寺院などが集まっています。律令では、位階によって邸宅の規模も決まっていますし、政治的な権威が大きな人間ほど…

『書紀』において、「みる」という言葉に異なる漢字が当てられ、それによって異なる官職の役割が浮かび上がってくることに驚きました。このようなことは他の書物でもみられるのでしょうか?

そうです。もちろん、すべての漢字使用に奥深い意味が込められているとは限りませんが、常にそのあたりを注意して読む必要があるんですね。歴史学の主要資料はやはり「書かれたもの」ですので、そこから一体どのくらいの意味内容をくみ取ることができるかが…

四神相応が応用されているのは宮だけなんですか?他の場所(幕府など)には使われたりしないんですか?

ぼく自身、ちゃんと検証したわけではないのですが、鎌倉や江戸の都市開発にも風水思想が用いられたという説があります。最近の中世の陰陽道研究が明らかにしてきたことですが、鎌倉には非常に多くの陰陽師が出入りして活躍しているんですね。周囲を山に囲ま…

花粉から歴史をみたり、何かを導くという着眼点に驚きました。しかし、空中を飛んでいる花粉は目にみえないので、どう検証するのか疑問に残りました。

講義でも説明しましたが、花粉分析を行うためには、低湿地に着床したものを素材とするのが最も効果的です。質問にもあるように、軽い花粉は地面に落ちてもすぐ飛散してしまうので、どこから飛んできたものなのか分からなくなってしまうのです。尾瀬沼のよう…

古韓音には驚きました。現在の漢字の読みは、どういう経過を辿って現状に至ったのでしょう。古韓音はなぜ使われなくなったのですか。

秦や太秦の語源を言語学的にみてゆく方法は新鮮でした。もしこれが有効なら、漢籍に出てくる倭国人の人名も再考できるのでしょうか。

現在と異なる古韓音の読みは、どのようにして特定しているのでしょう。

民話伝承などを扱う民俗学に関心があります。入門的に読める本はありますか?

書店にゆけば、民俗学の入門書はたくさんあると思いますが、ぼくがお薦めしたいのは、小松和彦さんや赤坂憲雄さんの本ですね。とくに、小松さんの『異人論』(ちくま学芸文庫)・『憑霊信仰論』(講談社学術文庫)、赤坂憲雄さんの『異人論序説』(ちくま学…

仏図澄は、亀茲国出身ではなかったでしょうか。

もう少しちゃんと説明すべきでしたね。確かに、仏図澄の生まれはキジル(庫車)です。しかし、罽賓(ガンダーラあるいはカシミール)で修行したので、「竺」を名乗っているのですね。インド出身というのはそういう意味です。

蝦夷が夷狄であるなら、蘇我氏の族長が「蝦夷」を名乗っているのはなぜなのでしょう。

エミシというヤマト言葉については、元来「強力な人、強い勢いを持った人」といった意味があり、東国のエミシについてもそうした意味で使われていたようです。蘇我蝦夷のエミシも同様でしょう。大化改新以降の急速な中央集権化のなかで中華思想の受容が進み…

もし崇仏論争がなかったとしたら、蘇我氏と物部氏の争いもなかったのでしょうか。

講義でもお話ししましたが、『日本書紀』をよく読んでみると、物部守屋が滅ぼされる政治的対立は、皇位継承をめぐって起きたものと書かれています。恐らく、この事実が先にあって、宗教的対立であるかのように粉飾されたのでしょう。近年では、蘇我氏の本拠…

民間レベルでは、仏教はどれくらい伝わっていたのでしょう。

渡来人を中心に仏教が受容されていたことは、仏像や経典奥書などの残存情況からもある程度分かっています。畿内では、すでに7世紀の段階で一般の知識写経(仏教信仰をもとにあらゆる階層の人々が平等に結び合い、協力して写経を成し遂げる宗教活動。ただし…

当時の日本には、仏教と対立するような宗教はなかったのですか。地方で廃仏などの動きはなかったのですか。

まったくなかったとは言い切れませんが、日本が外来宗教の受容に極めて寛容だったことは、神祇信仰の成り立ちからも立証できます。神祇信仰(後の神道)は、列島固有の宗教のようにいわれていますが、古代に存在した神社のなかには、朝鮮半島から入ってきた…

高位にある人間は、本当に仏教を信仰していたのでしょうか。政治的手段のように思えるのですが。

確かに奈良時代に至るまでは、天皇らが仏教を個人的にどの程度信仰していたのか、明確に立証することは困難です。8世紀になると、神祇信仰の最高位の司祭でありながら仏教の戒律を受ける聖武天皇、正妃の光明皇后や娘の孝謙=称徳天皇の姿に、個人的な信仰…

天皇が神とされていた時代に、なぜ蘇我氏は仏教を導入したのでしょう。

追々この講義でお話ししてゆきますが、崇仏論争の舞台となった6世紀末の段階では、天皇はいまだ〈神〉としての地位を手に入れていませんでした。あくまで神祇を祭祀するシャーマンでもある政治的首長〈大王〉の域を出ていなかったのです。倭の在来宗教は、…

『日本書紀』が作られた意味が、日本がいかに文明的であるかを隣国に示すためであったなら、『古事記』や『風土記』もそうなのでしょうか。

『古事記』や『風土記』は、『日本書紀』とは異なる独自性、固有の編纂方針を持っています。『古事記』は内容の多くを『日本書紀』と共有していますが、8世紀宮廷社会のアイデンティティーを語るものとして編纂されたため、構成自体が『書紀』とは大きく異…

『日本書紀』には虚構といえる記事が多いのは分かりました。そうした記事を考えたり、漢籍から引用してきたりする特定の役職の人がいたのでしょうか。そういう部署があって複数の官人が頭をひねっていたのですか。また、他の宮廷の人々や一般民衆はその「捏造」をどう考えていたのでしょう。

現在、『日本書紀』の編纂過程の解明は、日本古代史学界でも最もホットな課題のひとつです。国史の編纂は、宮廷の図書を管理する図書寮という役所や、臨時に設置される撰国史所などによって行われますが、『書紀』の場合はその実態がよく分かっていません。…

授業を終えて秦氏という存在がよく分からなくなりました。これからの授業で明らかになってゆくのでしょうか?

今回お話ししたなかでは、一般的な秦氏イメージを踏襲して、現在秦氏をめぐる議論の論点となっている部分を隠しています。これからの講義のなかで、次第にその輪郭が明らかになってゆくはずです。

馬といえば、釈迦生誕も馬上がきっかけであったのではないでしょうか。梅原氏の論はキリスト教のみに偏っているので問題だが、「馬と聖人」というワードを繋げるという点では面白い。

古代インドでは、アシュヴァ・メーダという王妃と犠牲馬との交合祭儀があり、それによって王は豊穣と宇宙の支配権を保証されたようです。共同体祭祀における馬と女性との繋がりはアジア世界に広く認められ、日本の東北地方にもオシラサマ信仰として確認する…

今日の授業で興味を持ったのは“3”という数です。3方向からみて同じ形の三脚鳥居やヤタガラスなど、歴史における“3”は神秘的な数だと思いました。

歴史における「聖数」には多々ありますが、「3」もそのひとつですね。中国的文化においては、『易経』などの影響で、3は天・地・人を表す数として、世界を表現する聖数と見立てられます。太陽の三脚烏にも、同様の意味合いがありそうです。

俗に“トンデモ学説”と呼ばれるようなものが、近頃テレビなどでも多く取り上げられています。しかし、普通の学説と“トンデモ学説”と呼ばれるものの間には、明確な区別はあるのでしょうか。

確かに、「明確な基準」といわれると存在しないかも分かりません。「歴史学的常識を逸脱している」といった見方では、時代・社会の変化に伴う価値観の移り変わりによって、あらゆる学説が「トンデモ」たりうるという結論に至ってしまいます(ま、本質的には…

高校で日本史を学んでいたのですが、私の思想は少し右寄りになっている気がします。日本で学んだ日本史だからでしょうか。

近年の中学・高校教育では、「日本人としての誇りを育てる」ことが重要な指導項目として指示されています。高校での日本史は歴史学ではなく、国語に対応する国史ですから、そうした規制が働いても仕方ないのかも知れません。国民結集のためのアイデンティテ…

高校での歴史は無名・匿名で「問題」であるというのは、真実でないことを真実であるかのように錯覚してしまう点で、確かによくないと思いました。ただ、この考え方を、教科書の前書きにつけるくらいしか、対処法がないと思います。あらすじを覚えることが一番大事なのではないでしょうか。

確かに、高校までの歴史教育では仕方がないのかも知れません。しかし、教員も生徒も自覚しておかなければならないのは、教科書の記述も、そしてそれをもとになされる教員の授業も、すべて仮説であるということです。とくに、教科書に書かれている通史=あら…

歴史研究は主観的だと仰っていましたが、人はいつでも主観的であると思いました。客観的、普遍的はないと思います。あると思うのが、それ自体が主観的ではないでしょうか(ないと思うのもそうかも知れません)。

哲学的省察を加えるとそう考えがちなのですが、実は「客観はありえない」という言明は不正確なのです。確かに、完全な客観は成立しません。しかし、人間は幼児から成長し社会化してゆく過程で、身体も精神も社会に適合的に振る舞うよう形成されてゆきます。…