2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧
石田尚豊編 1997 『聖徳太子事典』柏書房石井公成 2007 「聖徳太子像の再検討―中国仏教と朝鮮仏教の視点から―」『仏教史学研究』50-1大山誠一 1999 『〈聖徳太子〉の誕生』」吉川弘文館 2003 「『日本書紀』の構想」大山誠一編『聖徳太子の真実』平凡社清水…
ぼくはミーハーなので、かつて憧れていたのは坂本龍馬でしたね。大学に合格したとき、京都の龍馬の墓へ報告に行ったこともあります。あとは、宮澤賢治が重要な存在ですね。
例えば『日本書紀』は、8世紀初めに書かれた原本は残っていません。その後、書写し書き継がれた複数系統の写本が存在しており、これは宮内庁書陵部や奈良国立博物館などの研究機関、北野天満宮や熱田神宮などの神社、天理大学や國學院大學などの大学が所蔵…
ハクソンコウは音読み、ハクスキノエは『書紀』の古写本に書かれた訓読みですね。どちらかが正しく、どちらかが間違っているということではありません。
前近代、とくに古代・中世において仏教は総合科学でしたので、その知識のなかには人文・社会・自然科学のあらゆる領域が詰まっていました。ヤマト王権が朝鮮や中国の先進文化を取り入れようとしたとき、仏教を介して摂取・受容するというのがひとつの方策だ…
『天皇記』『国記』は現存しておりませんので実態は不明ですが、後の国史編纂に「帝紀」「旧辞」などが挙げられていることからすれば、前者は大王の系譜を整理したもの(存在したとすれば「大王記」でしょうか)、後者は王室と豪族たちの物語を収めたもの(…
当時の東アジアにおいては、高度な思想・文化の代名詞であった仏教を輸入・理解し、展開させてゆくことが、国家を繁栄させてゆくひとつの方法でした。推古天皇自身がどの程度仏教を信仰していたかは微妙なところですが(仏教や僧侶の行動に疑念を抱いている…
道教は、中国王朝の歴史においては、常に民衆反乱を喚起するきっかけになっています。そのため、ヤマト王権は「体系的宗教としての道教」の輸入を拒みました。しかし、中国で深く浸透した道教の知識や、詩文などの文芸に反映した神仙思想は、否応なく列島に…
これについては学界でも議論のあるところです。森博達氏は、α群の編纂に携わった続守言・薩弘恪の経歴について詳細に調査し、雄略〜舒明紀を担当した続守言が、崇峻紀編纂の途中で何らかの理由(死亡、もしくは病気など)により作業を中断せざるをえなくなり…
東アジアの国家的歴史叙述の原型は中国王朝のそれですが、そこでは史官たちが、各王朝に官僚として奉仕しながら、「天」という君主への忠義とは別次元の秩序を奉じて記録と編集に携わっていました。権力から叙述の変更を要請され、拒み続けて自ら命を絶った…
こういう人が大学で教鞭を執っているとは驚きです。あえて歴史学を擁護する必要性もないような、レベルの低い批判ですね。学問とは極めて奥が深いもので、どこまでいっても答えがみつからない、しかしそれを探し続けなければならない、ということがよくあり…
中国王朝にとっては、やはり、情報のあまりない辺境の小国という認識でしょう。隋の時代には明らかに「蕃夷」であったわけですし、白村江以降正式な国交もなかったわけですから。一方新羅にとっては、東アジアにおける競合国として注意すべき存在であったと…
『日本書紀』は編年体の書物とよく定義されますが、各巻は概ね歴代天皇の一代記になっていて、紀伝体の様式も備えています。紀伝体こそが中国正史のあり方なので、「紀」という名称を用いているわけです。一方の『古事記』は、フルコトフミというヤマト言葉…
各記事によって情況は異なるので一概にはいえませんが、『古事記』の方が赤裸々な伝承が描かれていますね。それ自体が、本来、各豪族の家々や、宮廷内で語られていた先人たちの姿だったのでしょう。これも近現代の感覚と古代の感覚との相違で、大王の滑稽な…
あれは「弩(オホユミ)」ですね。律令国家では各軍団に配備される通常兵器ですが、6〜7世紀の段階ではまだ一般化していませんでした。しかし『日本書紀』推古天皇26年条8月癸酉朔条では、高句麗からの献上品のなかにこの弩がみえます。ドラマでこの武器…
額に像を戴いて誓願する、というのがひとつの作法になっているのでしょうね。正式には像を前に柄香炉などを執って拝礼するのですが、陣中であるために略法で実践したのでしょう。また、太子は観音菩薩の化身であるともいわれますが、観音像は額の宝冠に如来…
『日本書紀』の崇仏論争記事では、豪族たちが神祇派/仏教派に分かれて闘争したように書かれていますが、それはフィクションに過ぎません。どうやら物部氏も仏教を信仰していたらしいことは、勢力範囲から発掘された寺院跡から推測されていますし、蘇我氏も…
精霊自体も殺してしまうということですね。上の回答にもちょっと書いたのですが、アニミズムにも歴史的な諸段階があります。階層・階級や上下の権力関係が希薄な社会形態ではあまりないことですが、強力な権力を持った王や国家が成立してくると、神殺しとい…
すべての殺害の場合に儀礼を行うかというとずいぶん少なくなるかも知れませんが、例えば狩猟に際して行う祭儀や呪いは現在の日本列島にも存在します。いつか映像でおみせしたいと思いますが、例えば高知県の山深い土地にある物部村という集落では、狩猟で得…
アニミズムにも多様な形態や初段階があるので、一概に「こうこう」と決めつけることはできませんが、そうした原始的な宗教形態が息づいている地域では、ヒトの霊魂も肉体から分離できます。やはり動物や植物と同じで、霊魂=精霊が本体なんですね。精霊は人…
ナシ族には、ナシ語という固有の言語があります(初級会話を扱ったホームページもありますので覗いてみてください)。ナシ語はナシ族の間で普通に話されていますが、その生活領域の中心である雲南省麗江にも多くの漢民族が共存しているため、大部分のナシの…
うーん、それは難しい問題ですね。まず、最初というのがいつなのか。列島固有の言語がいつ頃成立したのか。そのあたりの問題は厚い霧の彼方です。分かっている範囲でいえば、6〜7世紀に使われていたヤマト言葉には、現在は失われてしまった音韻が多く存在…
はい、太占は鹿の骨を用いて行う骨卜ですね。方法は、基本的に亀卜と同じです。講義でお話ししたように、弥生時代までの日本列島の骨卜は、猪や鹿の肩胛骨を用いるのが普通でした。古墳時代になると、大陸から新しく亀卜の技術がもたらされるのです。それ以…
よく誤解されるのですが、碑文などでとる拓本と、魚拓などでは微妙に方法が異なるのです。後者は魚に直接墨を付けますが、前者ではそういうことはしません。学芸員過程の授業を受けると実習があると思いますが、碑文などの表面に画仙紙を貼り付けて水で濡ら…
前近代社会、民族社会においては、必ずといっていいほど存在する知識であり、概念であろうと思います。ヨーロッパはキリスト教色が強いですが、基層的な部分には長くアニミズム的信仰が息づいてきました。近世史家のカルロ・ギンズブルグによれば、異端審問…
旧石器などの古い時代では、神的なものへ伺いを立てたい特別な情況でしか使用しなかったでしょうが、殷代には日常茶飯事、毎日毎日何度も何度も、王の一挙手一投足や国家の運営に関して飽きるほど熱卜を繰り返していたようです。例えば「旬卜」という方法が…
リアクションにも推測されていましたが、同じ見解が2つ出るまで卜占を繰り返したのでしょう。しかし、王の元卜がなされた場合、その結果が取られることもあったと考えられます。ケース・バイ・ケースでしょうね。しかし、甲骨文をみてみると、王の占断した…
玉亀の方が宝物的価値が高いので、コストも実物より高くつきますね。この作成は、それこそ祭具の付加価値を付け神聖性を増すためであったと思われます。
例えば、よく誤解されるのですが、陰陽道は日本オリジナルのものなんですよ。確かに陰陽説や五行説は中国伝来の概念ですし、式盤などの道具も中国に原型がありますが、それらをもとにして大成された「陰陽道」という哲学体系・呪術体系は、日本にしか存在し…