全学共通日本史(14秋)
ガイダンス >http://urx2.nu/gbz8日本史の枠組みの形成 >http://urx2.nu/gbzd日本史研究/教育の乖離:古代 >http://urx2.nu/gbzi日本史研究/教育の乖離:中世 >http://urx2.nu/gbzs
IPCCの未来予測では、主に地球温暖化によって、数十年後にはかなり破滅的な情況が予測されています。現在気象の震幅が極端になる異常気象が各地で起き、災害も多発していますが、人為的影響による環境の急激な変化がもたらす現象なのでしょう。早急に我々の…
そうですね、花見の文化は古くからあります。生物多様性の観点からクローンのソメイヨシノばかりが増えてゆくこと、それを慈しむことがあたかも日本的伝統であるかのように誤解していることが問題なのです。「責任」は、誰に対するものかによって考え方が変…
松根油ですね。確かに戦時中、これを確保するために松が根こそぎ掘り採られ、比較的広汎に存在していた松林が激減したことは確かです。 スギの植林に関しては、戦中というよりも戦後の復興過程で計画・実施されたものがほとんどでしょう。これも、もともとの…
中世の段階であれば、所在の在地領主などの寄進により、境内地はもちろん、周辺の広大な領域が寺社の所有になっていることが多かったはずです。当然、寺社はこれを管理し勝手な伐採を禁じていましたが、周辺の庶民、場合によっては武士団などが狼藉を働き、…
実は、生物学的に明確な区別はないのです。「柴」は低植生灌木類の総称、「芝」は主にイネ科の草類を指すと考えられています。『善光寺名所図会』では木々の枝も落としているので、細かな枝の類も「柴」と呼んだ可能性はあります。「草」はそれ以外の草類で…
このあたり、まだ不明確な部分も大きいようです。草山や芝山の実態が明らかになる以前は、研究者の間でも、草肥の需要はそれほど高くはなく、堆肥が主流であると考えられていました。都市周辺では家畜や人間の糞尿が金銭で売買され、農村が貨幣経済に取り込…
こちらの説明が不充分だったかもしれませんが、ブナは植林されたわけではありません。江戸初期までは、ブナも自生していたものの、針葉樹林が支配的な植生だったのです。それが、木材として需要のあった針葉樹が伐採され、不要であったブナが残されたために…
天には太陽があり、日光と雨という、生き物が生存してゆくために必要なものを授けてくれます。ゆえに、天にあるものは人類の歴史のかなり早くから、世界中で神聖化されてきました。太陽はもちろん、月、星もしかりです。アジアの先進文化発信地であった中国…
「田」という字自体は条里制以前から存在しますので、必ずしも条里制を形象化したものではありません。中国では「田猟」という言葉があり、「田」は狩猟の意味でも用いられます。しかし、ひとりの人間が何らかのものを生産できる範囲を指すことは確かであっ…
前回のコメントにも書きましたが、日本列島の食生活は、歴史的には非常に複合的な状態で成り立っていました。必ずしも、稲作や米が主流ではなかったのです。他の五穀や各種のイモをはじめとする根菜類、果樹その他、多くの食物が作られていました。水田以外…
構いません。しかし、里山とはいかなる状態を指しているのか、草山を前提とした世界か、現在のイメージか、共生とは一体いかなることをいうのか、というのが今回の単元のテーマです。草山を前提とした世界であれば、過度な環境改変は災害を頻発させる結果に…
講義をよく聞いていただきたいのですが、ぼくは列島における開発の展開を否定しているわけではありません。縄文時代の件についても、縄文を共生のユートピアのように位置づけるのは間違っていると説明しただけです。かつての環境考古学者のなかには、縄文の…
ぼくが専門としているのは、まさにそうした領域です。多少はアジア、ヨーロッパとの比較もしていますので、授業で紹介した文献などを読んでみてください。自然への踏み込み方がどう違うか、ということは、それぞれの自然環境とそのなかで営まれてきた歴史、…
オゾン層の破壊や地球温暖化、放射能の垂れ流しなどの問題を考えると、地球上のあらゆる領域が人間活動の影響を受けていることは否定できません。その意味で、地球上に「人跡未踏の地」はなくなってしまったといえるでしょう。少なくとも、地表においては。
近代に至って自然/人間の乖離が進み、そのことに危機感が生じてくることによって、逆に前近代はそうではなかったのではないか、人間は自然と一体感をもって生活していたのではないかとの考えが生まれてきますが、個人的には、それは幻想であると思っていま…
さまざまな立場が存在すると思いますが、ぼくの場合は、生態系のバランスを攪乱してしまう自体は、程度の差に関係なく「破壊」と認識します。それが良いのか悪いのか、許されるのか許されないのかという価値付けは、また別の問題になってくるでしょう。
山間部に田を開くことは、古代から中世にかけてだんだんと進行し、現在みることのできる景観は、主に近世から近代にかけて成立したと考えられています。当初は、付近を谷川が流れている、豊富な湧水があるなど灌漑しやすい地域から開発され、井堰の設置や用…
計算してみていただくと分かるのですが、プリントの方にミスがあったようです。訂正させていただきます。 ・現在(2011)の列島の森林面積 →林野面積約2486万㌶/総土地面積約3779万㌶ →林野は総土地面積の65.8%(内訳:森林約2447万㌶・草生地約39万㌶)・…
いわゆる思考型の授業です。単に歴史の事象を記憶し、その説明について理解するだけではなく、なぜそのようになったのかを、自分の生きる現代社会に照らして考える、ということがよく行われます。例えば、日本でいえば、それこそ南京大虐殺や慰安婦問題のよ…
現在問題になっている地球温暖化は、主に二酸化炭素ガスの排出による温室効果を問題としたもので、これまで地球が経験してきたような自然現象ではなく、人為的要因によってもたらされる危険性があるものです。よって、過去の気候変動と同列に論じることはで…
現在の日本列島の人口を里山的システムで維持することは不可能ですので、里山資本主義という考え方は、まったく実現の可能性のない絵空事と思います。まず、この構想には、環境史的な問題追究の視点がまったく欠落しており、例えば里山が形成された中世後期…
こちらの説明が不充分でした、といいますか、次回に回してしまったので誤解を招きました。まず、富山さんの、「日本人は太古から木を植えてきた民族」という提言自体が、まったくのでたらめなのです。植林が一般化するのは近世以降で、古代においても、例え…
確かに、人間を自然の一部とみる視点も存在し、また重要な意味も持っています。しかし、こと環境破壊に関しては、そう見方を変えることでいかなる意味があるのか、再考してみなければなりません。エコナショナリズムと同様に、問題を単純化し思考停止を招く…
ああ、それはそうかもしれません。ちょっと表現が矛盾していましたね。権力の作った枠組みのなかで民衆がどう行動するか、ということですので、そういう意味では権力の力も大きいといえます。しかし、その部分だけを強調しすぎると、戦争責任などの問題と同…
「原風景」にしても「伝統」にしても、本来時間のなかで変化し続ける事象を、ある時間(多くは現代)を絶対化することで停止させてしまう概念です。「原風景」は、絶対化した時代の祖型といえるものを遡って位置づけたもの、「伝統」は、多くが近年になって…
もちろん、変動があります。生業全般ということでいいかえておきますが、例えば縄文時代には、温暖化に伴い針葉樹林や氷原が減少して狩猟対象であった大型哺乳類が消え、逆に海進により入り江が多く形成され堅果類を落とす温帯森林が復活したため、漁撈や採…
寒冷化に適応した衣裳ではないでしょうね、寝殿造の構造からみても、当時は温暖であったのです。十二単は、薄い絹を何枚も重ね着し、その裏・表の色合い、襟元や袖口からみえる諸色の取り合わせによって、個性やセンスを表現したものです。経済的な意味では…
http://urx2.nu/fhuO
まずは肖像画自体に付与されてきたさまざまの伝承が参照されますが、それと肖像画自体に埋め込まれた情報が齟齬を来すときに、研究者による多様な検証が行われます。これまで足利尊氏像とされてきた騎馬武者像は、松平定信の編纂した『集古十種』に尊氏像と…