2017-01-01から1年間の記事一覧

私は小学唱歌「ふるさと」が嫌いなのですが、今日の講義を聴いて一層嫌いになりました。

ぼくもあまり好きではありません。そもそも、遠くにあって思う故郷が創出されるのが、やはり日本の近代なのです。これは、もともと移動性のなかにあった人々の暮らしを土地に縛り付け、家父長制的家族に固定し、租税・兵役負担の安定的な単位とすることが目…

棚田は、効率的に作物を増やすため、積極的に斜面に作られたと思っていたが、場所によっては、水田面積を拡げるため、やむなく柴草山を開発したところもあると知った。

日本の棚田は、斜面下の川原の石を上へ上へ積み上げて畔を作り、上部に水源がないところでは川から水を汲み上げ、灌漑して耕作します。これはかなりの重労働であるため、「棚田を使用しないでも生活が営める」現在においては、観光資源として活用できる以外…

東北では、黒松などが防潮林として藩主導で積極的に植えられていたが、森林の役割自体はこの時期重く認識されていたということでしょうか。

もちろんそうです。授業でも扱いましたが、江戸初期には東北各藩で山林資源の大規模な枯渇がみられたため、土砂災害なども多く、藩主導での植林政策がプランニングされています。近畿の土砂止めの法令も同じですね。ぼくの妻の実家がある秋田の能代でも、「…

白神山地の伐採に朝鮮出兵が関係しているとのことですが、九州から遠い陸奥や出羽で伐採が行われたのはなぜですか。

当時、豊臣秀吉の全国政権が完成しつつあったためです。出羽の大名となった秋田(安東)実季は、小田原従軍以降秀吉に属し、太閤検地を経て長年紛争の続いた所領を安堵されますが、同時に秋田杉の重要性に注目した豊臣政権によって多くの蔵入地を設定され、…

東北や島嶼部など、稲作に向かない地域に対しては、どの程度柔軟に、租税制度を変えていったのだろう。

時代や政権のあり方によっても相違はありますし、環境的に米穀の収穫が難しい地域では、古くから代替物の貢納が許されていました。例えば、奥山にあって雑穀の焼畑や茶の生産を主要な生業としていた宮崎県の椎葉村では、江戸初期にこれを統括していた土豪を…

気候変動と人口の増加とは、どの程度関連性があるのでしょうか。情況が悪くなると生物は多産になるのか、危機感などもその原因でしょうか?

人類社会は自然環境の影響を直接的に受けないよう、文化文明を発展させてゆきます。授業でもお話ししたとおり、現在では古墳時代は寒冷期であったと考えられていますが、その際にも人口は増加し統一王権が誕生しているのです。環境の圧力が高まってこれまで…

樹木から生まれた人間の一例として桃太郎が挙げられていましたが、桃太郎伝説のルーツはヤマト王権のキビツヒコだと読んだことがあります。とすると、桃から生まれたくだりは後付けになると思いますが、これにはどういった意味があるのでしょうか(個人的には、神仙思想のにおいを感じます)。

桃太郎とキビツヒコとの関係はよくいわれることなのですが、しっかりと立証できているわけではありません。ただし、吉備津神社の縁起伝承は、中世後期以降多岐に渡って作られてゆき、人口に膾炙してゆきますので、まったく無関係ではないかもしれません。な…

スサノヲ―イタケルが樹木神の系譜とのことですが、イザナギ・イザナミによって生まれたククノチも樹木神なのではありませんか? 両者の関係はどう考えるべきでしょう。

ククノチは、樹木「神」というより樹木「霊」ですね。古代のヤマト言葉で、神霊を表す語句にはヒ・ミ・チなどがありますが、ミは自然物に宿る精霊的存在です。水の精霊であるミヅチ、火の精霊であるカグツチ、野の精霊であるノヅチなどが該当します。スサノ…

縄文時代の環状柱列や巨大柱列が古墳時代で途絶えてしまうのは、なぜだろう。稲へのトーテミズムと、宇宙樹・世界樹への信仰は両立しないものなのだろうか?

信仰の表層的形式は変わってゆきますが、その構造は概ね維持されると考えられるかもしれません。古い時代の巨樹信仰、柱列信仰は、一部には、諏訪の御柱祭をはじめとして、各地の寺社などに存する神木信仰として残存しています。伊勢神宮の心御柱など、神社…

須弥山像や類似した形の香炉台について、男性象徴であるとのお話がありましたが、これまでの授業に登場していたアジアの立柱にも同じような思想的背景があるのでしょうか? アマテラスが女神とされていることを考えると、神仏に制約を監視させるための依り代が男性象徴というのは、違和感を覚えます。

すべての神聖遺物を男性象徴/女性象徴で解釈するのは無理があるでしょうが、天地を繋ぐように屹立する柱や山には、男性象徴の重ね合わされることが多いことは確かです。縄文時代には、男性象徴を直接的に模した石棒が多くみつかっていますし、環状列石にみ…

仏像においての体骨柱は、宗教的意義もあるかもしれませんが、第一には技術的要因ではないでしょうか?

もちろん、その存在は構造的必要性からです。しかし問題はその点ではなく、授業でもお話ししたように、「体骨柱を立てる」ことが特質的に扱われ、恐らくは何らかの儀礼がなされていることです。当時はあれほど巨大な銅造仏像の先例がなかったため、造立過程…

歴史を学習していたころからの疑問なのですが、遺跡や水田跡というのは、なぜ破壊されておらず、きれいとはいわないが、ある程度当時の形で発見されるのでしょうか。

縄文以降でも1万年以上にわたる日本列島の人類史において、もしその痕跡が破壊されずに残っているとしたら、いま都市が展開している平地などは、そこらじゅう遺跡だらけのはずです。しかし現実にはそうなっていないのは、大部分の文化痕跡が自然崩壊し、あ…

現在日本において、「芝山」といった地名が多く見受けられるのは、柴草山が広がっていたためなのですか?

基本的にそうです。芝山、柴山のほか、芝原、柴原、茅山、茅原など、用途に応じたさまざまな地名が残っていますね。

寒冷化や耕地拡大のために木を伐ったとのことでしたが、世界的にも同じ傾向があるのでしょうか?

例えばヨーロッパなどでは、森林は産業革命期と比較すれば、現在のほうが保護されて回復しています。ヨーロッパは、古代文明の起こった地中海の周辺で早くから森林伐採が進み、もともと森林のまばらな地域であったこともあり、樹木のない乾燥した空間を醸成…

源平の争乱で焼失した東大寺を再建するとき、再建用の木材を九州のほうから運んできたという話を聞きました。近畿地方では、森林の伐採が進んでいたためでしょうか?

重源の東大寺再建の基盤になったのは、九州ではなく中国地方、とくに周防国(現在の山口県)ですね。ほかに安芸(広島)、備前(岡山)なども造営料国に設定されています。重源は、畿内周辺では紀伊や伊賀などの荘園にてこ入れをしてゆきますが、やはり東大…

古墳寒冷期の国家形成について。世界史的にみて、生態系の生命力が強い温暖な地域は文化が発展せず、寒さの厳しい地域は発展していることと同じ理屈なのでしょうか?

同じとはいえません。そもそも、温暖な地方での文明発展がないという考え方自体、不正確であることは、エジプトやインドの古代文明をみれば明らかです。中国でも、比較的寒冷な地域の黄河文明と同時期に、南方の長江流域でも高度な文明が発達していたことが…

弥生時代の寒暖の差が激しい気候は、現在の四季のようなものが、もっと極端な振幅を持っていた状態ということでしょうか。すると当時、体調を悪くする人が増加したとは考えられませんか?

寒暖差が激しいといっても、グラフに示しているとおり、600年というスパンのなかでのことです。古気温曲線では、1年の間における微細な温度変化はデータ化できませんので、四季が大きな振幅で訪れるというわけではありません。ただし、気候が温暖期/寒冷期…

縄文時代には戦争はなく、平和であったと習いました。とすると、稲作伝来を契機に急に身分の上下が振り分けられたのでしょうか? それだと、少し不自然に感じられるのですが。

現在でも、狩猟採集社会に近い形態の民族社会は存在しますが、それらにおいては、一部への富の集中、それによる権力の偏重が禁忌とされてきました。集団で獲得した食料は、それぞれの貢献度の差違があろうと、可能な限り平等に再分配されたのです。縄文時代…

今回の講義を通して、高度経済成長というものが環境史的にはどのような位置づけになるのか、よく分からなくなってしまいました。山々に緑を戻した一方で、公害などの汚染もあったため。

非常に複雑な時代ですが、自然環境的にも、「地方農村が中央都市の食い物に位置づけられた時代」といえるかもしれません。都市への若年労働者の流入、人口の集中、第一次産業の衰退は、農業の衰退と農村の過疎化をもたらし、結果として里山の自然の回復を生…

森林伐採が以前から大規模に行われていたとして、ならばなぜ日本人は、昔から自然と共生してきたという言説が生まれたのでしょうか。 / 日本人のなかに、「緑は美しいから守らなければいけない」との考えが共通認識となったのは、いつのことなのでしょうか。

王権の政治的権威、寺社の宗教的権威を保持するために、森林の美観を保持しようとする考えは、古代からありました。仏教のなかにも、生命圏平等主義的な考え方から、動植物の殺生を忌む発想が同時に存在しました。個人の発想では、江戸後期の安藤昌益、近代…

かなり昔から人間によって自然に手が加えられていたことが、研究によって分かっている。このような事実を与えられると、「人間が手を加えない自然こそが良い」というイメージを押しつけられているように感じるが、果たしてそれは正しいのだろうか。

このあたり難しく、また微妙な問題です。手つかずの自然を至上とみなす考え方をピュアイズムといいますが、これは質問者の意見と同様、さまざまに批判されています。ただし、前回お話ししたアンスロポセンの問題を考えると、人類の活動が自然環境の回復能力…

世界全体のイメージとして樹木が設定されるのは面白い。ドゥルーズが、「ツリーかリゾームか」といったことを思い出したが、これはかなりラディカルな批判ではないか?

系統樹の相対化ですね。世界の中心を巨樹とするイメージはまさに系統樹と重なるものですが、しかし重要なのは枝葉よりも幹です。竹の場合は根が大切となるので、樹木の織りなす文化を細かくみてゆけば、支配的言説への抵抗のよすがとなるかもしれません。

月と兎も再生象徴として結びつくものと思いますが、日本の民話・伝承などでは、狐や狸が異類婚姻で多く語られている気がするものの、兎は少ないように思います。なぜ少ないのでしょうか?

月と兎の関係は、話しませんでしたっけ? いまちょうど論文を書いているのですが、質問のとおり、再生象徴として同じカテゴリーに入ります。兎は生殖能力が高いので、イースターのシンボルなどになる一方、性欲の象徴としても扱われてしまいます。列島社会の…

聖なる樹木・柱には龍蛇が纏わり付くとのことですが、龍と蛇には相違があるのでしょうか?

龍は中国における伝説の動物なのですが、よくわれわれが思い浮かべるような、鹿の角・蛇の身体・虎の目や爪などを持つ怪獣を、普遍的に意味するわけではありません。蛇をモチーフにした神獣はユーラシア全土にあり、漢字文化圏におけるその一般名詞と考えれ…

果実が再生の象徴だとすれば分かりやすいが、植物の部位ごとに伝承を分類することはできないだろうか?またその意味があるだろうか?

それは面白いだろうと思います。ぼくは以前、樹木が伐られることに何らかの抵抗を示す伝承を、列島のなかだけで450個ほど確認しました。ほとんどが、幹に切りつけると①血が出る、②いくら伐っても塞がってしまう、③異類が出現する、④伐った者が病気になる・死…

日本古来の立柱的表象として、まっさきに鳥居を連想した。あれは仏教の影響、神仏習合なのだろうか? / 鳥居も一種のトーテムポールなのでしょうか?鳥は再生のシンボルなのですか?

鳥居に似たものは、確かに、紀元前のインドのストゥーパ遺跡にみられますね。しかし実際のところ、鳥居の成り立ちについては定説がないのです。弥生時代の環濠集落には、鳥型木製品を配した門のようなものがみつかっているので、そうした在来の展開を遂げた…

サバイ草の起源などにみるように、民話や伝承には兄弟が登場する話が多いように思います。兄弟も何らかの象徴なのでしょうか?

民話や伝承で、兄弟や夫婦、両親を登場人物とすることが多いのは、ストーリーを物語るうえで邪魔になる説明が不要だからでしょう。主人公に対立する登場人物を設定する場合、もともと無関係なひとであれば、主人公との因縁など、彼に対する説明が必要になる…

動物から人間が生まれることと比較して、植物からの場合は、生まれる人間が女性の場合が多い気がする。それは植物の生命力や再生力が、女性のそれと重ね合わせられているのだろうか。

授業で中国の竹王伝説を紹介したように、必ずしも女性が多いわけではありません。列島文化では、桃太郎の例もありますしね。一時期の日本では、柳田国男や折口信夫の論を受けて、シャーマン=女性といったイメージが強くありました。しかし、アジアにおける…

トーテミズム研究では、複数の部族が併存する社会において、それぞれの部族アイデンティティを据える役割をトーテムが担うといわれるが、同一地域内に複数のトーテムがあるのだろうか。

中国西南少数民族には虎トーテム、モンゴルには狼トーテム、北方狩猟民には熊トーテムが散在しています。列島社会には、授業でもお話ししたとおりトーテムの痕跡が少ないのですが、よく指摘されるのは、ヤタガラスを祖神とするカモ氏、蛇神オホモノヌシを祀…

いわゆるトーテミズムでは、トーテム対象の殺害・捕食が重要な祭祀となることが多いが、これら植物トーテムでも、葦や竹の収穫・食が、重要視されるのだろうか。

植物トーテムの場合は、食べることはもちろんありますが、それ以外に、植物を素材に作った衣服を着ること、家に住むことに意味があるかと思います。葦の場合には、家の屋根を葺いたり、部材を結んだり、骨組みを作ったり、垣根を作ったり、土と混ぜて壁に塗…