2016-12-01から1ヶ月間の記事一覧

教科書に書かれていることだけが真実とは限らないとして、しかし私たちが教育を享受するにあたって、これを批判的に読み込むことは難しいと思う。だからこそ、新しい、それらを克服した歴史、歴史観を自分たちで作るべきなのだろうか。

この結論は、ぼくの方からは出さないことにします。最後の授業の課題へ向けて、しっかりと考えておいてください。

他の講義でも聞きましたが、琉球の人々については、アメリカ人だけではなく日本人も差別的に接していたと思います。これについてはあまり教わりませんが、琉球の人々への差別については、具体的にどのようなものがあるでしょうか。

沖縄文化が広くみなおされてゆく90年代以前には、就職、結婚などをめぐって、沖縄出身者が不当な差別を受けることが多くありました。戦前、戦中においては、ハジチ(女性に成人儀礼としてなされる入れ墨)など沖縄独自の習俗が未開なもの、原始的なものとし…

日本国が、アイヌを先住民として公式に認めたのが2008年として、しかし教科書には、それ以前から先住民としての扱いで書かれていたと思います。教科書がナショナル・ヒストリーの現れとするならば、この矛盾はどこから来るのでしょうか。 / アイヌも琉球も先住民族であるという認識を普通に持っていましたが、国はなぜ、その当たり前の事実を認めようとしないのでしょうか。そのことに何のメリットがあるのでしょうか。

まず、検定教科書がナショナル・ヒストリーの提供メディアであることは間違いないとして、その記述すべてを国家主義と価値付けることはできません。もしそうなら、教科書の内容は非民主的なものとなり、事実などほとんど影を潜めてしまうでしょう。そのうえ…

私は高校で歴史をとっていないので知識がないのですが、アイヌと聞いて分かることは「北海道の先住民」ということのみです。アイヌ人は顔や身体に特徴はあるのでしょうか、話す言語に特徴はあるのでしょうか。

まず大きな誤解であるのは、「民族」という概念が社会的・文化的なものであり、自然科学的・生物学的なものではないということです。例えば、現在国際社会で最も一般的な、エクアドルの人権学者ホセ・マルティネス・コーボが国連への特別報告書で行った定義…

日本政府の政策によってアイヌ人の文化を失ったことは猛省すべきだが、近代国家として農耕などの文化を与えたことも事実であるので、負の歴史も正の歴史も事実として学ぶことが重要だと感じた。

それは違います。そもそも、農耕が狩猟より優れているとの認識自体、極めて限定的なエスノセントリズムに過ぎないことは、これまでの講義のなかでも指摘してきたとおりです。しかも、この同化政策による農民化は、アイヌの人々の望まぬものであったわけです…

アイヌの人々を保護するという目的で作られた北海道旧土人保護法は、なぜ差別的とも捉えられる「旧土人」という表現を使ったのでしょうか?

まず、上記の法律がアイヌを「保護」する目的で作られたとは、考えない方がよいでしょう。これは前提の話です。「土人」という言葉は、もともとは漢語で現地の人という意味に過ぎませんが、中央による収奪の対象となった作物を「土毛」というように、やはり…

日本人には、自然破壊に対する自覚が希薄であるとのお話に頷きました。確かに、山や川にゴミを捨ててしまった部分もあると思いますが、富士山が世界遺産に登録されたのち、外国人観光客による汚染が問題となりました。果たして、外国人と日本人との間に、そこまで違いはあるのでしょうか?

ひとついえることは、まず、富士山がなかなか世界遺産に登録されなかったのは、ゴミ問題が原因であったということです。最近は外国人観光客によるゴミ問題が取りざたされていますが、そもそも、世界遺産登録を目指し始めた1990年代、富士山の五合目以上の屎…

環境史のまとめが、最終的に、「覚えている努力をすることが大事」のような結びになってしまうのは、腑に落ちません。もっと具体的に、できることはないのでしょうか?

うーん、これも説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、上の回答も参照してみてください。つまり、集合的アムネジアは個人的な現象として起きるわけではなく、多く社会的、政治的要因が関係してもたらされるのです。それを防ぐためには、メディア等によっ…

先生は、景観が変化したことによって記憶が塗り替えられることを「リセット」と表現されていましたが、今回の桃太郎の事例のように、実際は時代の移り変わりに応じて変化してゆくもので、なかったことにはならないのではないでしょうか。

確かに、リセットはいいすぎだったかもしれませんね。しかし柴草山の問題からいうと、農村からもその記憶がほとんど消えてしまっているのが現状なのです。これは、世代論だけでは説明できない現象です。集合的アムネジアの問題は、例えば世界的には、「スパ…

最近は交通網の拡大によって都市へのアクセスがよくなり、必ずしも都市へ住む必要がなくなったので、都市化を目指す思考から田舎へ回帰する思考へ移る可能性があると感じている。農村が忘れられた影響は、これ以上広がりをみせないのではないか?

柴草山の集合的アムネジアにおいて特徴的なのは、その記憶喪失が都市部だけではなく、農村においても起きているということです。これは、農村の生活サイクルが変化したために、生業と密接に結びついた柴草山の記憶が塗り替えられてしまったものと思われます…

里山が放棄されていったことについて、最近たびたび耳にする「市街地にイノシシや鹿が下りてきて暴走する」というのも、里山消失に関係するのでしょうか。

関係しますね。かつては、いわゆる野生の領域と人間の生活領域が、里山的なものによって明確に区分されていたものが、その衰退で緑が繁茂したことにより曖昧になり、野生動物の増加と里への進出を引き起こしていると考えられています。例えばイノシシやクマ…

日本の自然の回復力について、緯度・経度的に絶妙な位置にあるとのお話がありましたが、九州と同じくらいのシチリア・ギリシャ・レバノンなどは、今でも荒れ地です。いったい何が違ったのでしょうか?

すでに中学の地理、あるいは世界史あたりで、地中海性気候などは勉強していると思います。ぼくの説明の仕方がよくなかったのでしょうが、局所的な気候については、緯度・経度のほかに、周辺の地形やそれに伴う大気の循環など、さまざまな要因が関連してきま…

私は、長崎の捕鯨文化のなかで育ってきており、鯨の肉を食べることは一般的でした。世界的な批判のなかで、確かに乱獲はよくないとは思うのですが、そこまで批判されることなのかとも考えます。さまざまな部位を無駄にすることなく大切に使用しても、だめなのでしょうか。

捕鯨については、まだまだ研究の余地があります。日本列島のなかに、鯨を捕り、食用その他に満遍なく利用する文化が、早くから存在したことは確かです。しかし、それら捕鯨を行っていた地域で、自分たちで消費する以上の量を捕獲してゆくようになるのは、列…

日本の昔話には、山姥が悪役としてよく出てくる印象があります。これは、子供だけで山に入ってはいけないという警告的なメッセージであるとともに、姥捨の文化が背景にあるような気もします。姥捨の罪悪感を払拭するために、老女を悪人に仕立てたのではないでしょうか。

なるほど、そういう解釈もありうるかもしれませんね。一般的には、山姥には、里の人間にとって有害な部分と、恩恵を授けてくれる部分の両義性があると指摘されており、これは山の神の性格に基づくと考えられています。日本列島で崇拝されてきた自然神は、概…

私の地元、青森では、未だに野焼きが多く行われている。地元の警察も黙認してしまっている情況だ。一歩外に出ると煙で前がみづらい。喉が痛くなる。植物の栄養としてはよいかもしれないが、人間の身体には害だと考える。先生は賛成ですか、反対ですか?

野焼きが単に環境へ悪影響を及ぼすものでないことは、前回の質問への回答でも述べました。人間の生産活動の善し悪しは、その地域の環境にとって好適か否か、環境への負荷ができるだけ少なくなるよう配慮されているかどうかが重要と思います。野焼きは一般的…

しかし、木々の生い茂った山林と、草山・柴山とでは、環境的にどちらが好ましいのか?

自然環境の善し悪しの基準は、一般的に生物多様性の観点から考えるべきとされています。すなわち、より多くの生命が生育できる状態が望ましいということです。そうした意味では、柴草を肥料として利用するため、これらを選択的に生育できるよう圧力を加えた…

刈敷を得るための柴草山ですが、何とか技術改良をして柴草山を減らす、ということは不可能だったのでしょうか?

江戸時代の場合、技術改良は拡大する米穀の需要に応えるため、寒冷地にも適応しうる稲の品種改良、栄養価の高い米穀を多く得るための肥料の改良、そして水田地の造成(新田)などの形で進行しました。その結果が、柴草山の拡大と、その衰退に軌一する金肥の…

アジア太平洋戦争以前まで、農村では、庶民は米ではなく麦や粟、稗、芋などを主食にしていたと聞いたことがあります。雑穀や芋の育成には、米ほどの多量の肥料を必要としないような気がするのですが、柴草山から刈り取られた肥料が米以外の栽培にも使われたのか疑問に感じました。幕府が年貢を芋や雑穀で集めれば、柴草山の拡大を止められたのではないでしょうか。

刈敷は稲作のみでほぼせいいっぱいの情況だと思いますので、原理的には畑作にも使用可能で、農書にその類のことも出てきますが、水田以外にはあまり使用されなかったと考えられます。米が歴代王朝、政府によって租税化されたことは、その制作過程における労…

桃太郎のおじいさんが刈敷の柴草を刈っていたということは、彼は「農夫設定」であったということでしょうか。また、柴刈りが仕事の一環であるなら、男=仕事、女=家事という図式が、昔からのものなのだなあとも感じました。

いわゆる百姓であることが、まさに柴草山の解釈から見出されると思います。ただし、一般の農業労働においては女性も重要な働き手ですので、必ずしも「桃太郎」昔話が、女性のジェンダーを家内労働に固定化して語ったわけではなかろう、とは思います。しかし…

授業の最初で旧約聖書が自然破壊の根拠となったとあったが、それは現在批判されている。現代環境問題を論じるとき、インテリはこの点を指摘するが、もう少し研究してからいってほしい。

うーん、ぼくの説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、「創世記」の記述をもとにキリスト教の責任を問うことは、リン・ホワイトが1960年代に指摘したことながら、それが誤っていることは、環境倫理の世界ではもはや常識です。ぼくも、10年以上前に編んだ…

農業が衰退したくらいで、森林が復活するのでしょうか。植林はまったく行っていなかったのですか?

授業でもお話ししましたが、戦後、林業を国策的に拡大する目的で、杉の植林を大規模に行っています。しかし最近は、他国の安価な木材に圧されて林業も衰退、これを管理する労働が放棄されて、荒れ放題の山林が日本中に存在しています。ここ十数年の間にも、…

熊沢蕃山など、高校日本史でも学ぶような有名な人物が日本の森林について発言しているのに、それらの事実が教科書などで教えられないのには、何か理由があるのでしょうか。

環境史研究があえて排除されているからではなく、やはりナショナル・ヒストリーにおいて重要なのは政治史である、他の分野の研究の参照は最小限に止める、ということなのでしょうね。そうした考え方が、未だに旧態依然の状態で残っているわけです。

先生が木材のことを、「樹木の遺体」といっていることに、違和感を覚えました。

えっ、遺体ですよね、木材も含めて。皆さんの食べている肉は、動物の遺体ですよね。皆さんは、生命の遺体のなかで暮らしているわけですよね、概ね。

江戸幕府や諸藩が、植生についてこれほどしっかり調査をしていたのは、問題意識が高かったためですか。

正確に土地の生産力を調査し、租税をしっかりと徴収するためです。ゆえに正保の国絵図・郷帳を生み出した検地は、中近世移行期の人々の自然観、心性を大きく転換する画期であったと思います。

野焼きをするということは、辺り一面を焼くことで多くの樹木を失わせてしまう。野焼きを考えた人は、自然に対してどのような思いを持っていたのか、気になりました。

野焼きは、際限なく周囲を焼き尽くしてしまうわけではありません。予め焼く範囲を決め、その周囲の木々を伐り倒し、燃焼性のものを取り除くなどして、延焼を防ぐ手立てを講じておきます。野焼き後の土壌は化学変化を生じ、植物の育成に適した状態となるので…

和歌や文学作品に登場する山は、森林ではなく草山や柴山だったのでしょうか。

例えば『万葉集』など、自然との精神的な繋がりを歌うものが多いとされていますが、その歌が多く詠まれた藤原京の時代などは、周辺の山林の大径木が枯渇状態にあったらしいことは、すでに判明しています。すでに藤原京造営の時期から、遠く離れた近江の山林…

森林が減ると地球温暖化が進行すると思うのですが、例えば授業で扱っていた、17世紀の情況などはどうだったのでしょうか。

地球の温暖化は、森林の枯渇だけで起きるわけでもなければ、日本のみの環境状態で左右されるわけでもありません。まず前提として、地球にエネルギーを供給する太陽活動の変化、オゾン層に代表されるような大気に内在する諸要因、噴火によるエーロゾルの増加…

寒冷期は樹木を犠牲に得た稲からの恩恵も少なく、さらに暖をとるための薪炭材も必要であったと思いますが、どのようにバランスをとったのでしょうか。バランスがとれなかったから、はげ山ばかりだったのですか。

時期や地域による相違もあると思いますが、次の回の講義でお話ししたように、草肥=刈敷を得るための柴草山が大規模に展開するなかで、各地で災害が相次ぎ、バランスは崩れかけていました。幕府や諸藩が禁止令を出し、植林を奨励するなかで、ギリギリのとこ…

古代の環境破壊は、自然を使いつつも共存するという意識が、人々の内にあったのではないかと思います。

現在でも、自然との共生を願って抑制的な生活をしている人もいれば、環境破壊を何とも思わない人もいます。古代においても、いろいろな考え方を持った人がいたでしょう。すでに自然のバランスを崩すのはよくないという発想は、紀元前の中国に存在しますので…

古墳には木々が生えているイメージなのですが、あそこに生えている木は、もとからあったのではなく、あとから形成されたのでしょうか?

あとから形成されたものです。古墳の墳丘は、例えばある程度の規模の前方後円墳などでは、幾つかの段からなる幾何学的な設計・構造で、表面はほぼ石敷き、そのうえに埴輪や装飾用の木製品が立て並べられています。現在のようなこんもり緑の茂った姿は、そう…