日本史特講(11春)

授業の内容と関係はないのですが、親鸞の「鸞」は浄土教の曇鸞にあやかったものなのですか。

まさにそうですね。親鸞は、得度した当時は範宴と名乗り、法然門下に入って綽空・善信・親鸞と改名してゆきますが、それらはすべて、浄土教史上の高僧たち(後に浄土真宗における「七高僧」に設定)「龍樹」「世親(天親)」「曇鸞」「道綽」「善導」「源信…

中国にはいろいろな宗教がありますね。皇帝が変わると宗教も変わったりして、その度に寺院などを新たに建てて、財政破綻しなかったのかと思います。

財政破綻していますね。講義で扱った梁の武帝などは、自分で建立した同泰寺に自らの身体を施し、これを家臣たちが銭一億万で贖うという「捨身施」を繰り返します。これは梁の財政を酷く圧迫したようですね。

2012年世界壊滅説がマヤの暦から出てきたと騒がれていますが、この問題は『易経』にもあるようです。先生はこの話を聞いたことがありますか?

聞いたことないですねえ。『易経』自体は、「○○年に××が起きる」という形式の予言を記録した書物ではないので、眉唾であろうと思います。

史料17で、張隗を身代わりとして連れて行った2人の男は、どういった存在と考えればよいでしょうか。良いものなのか悪いものなのか、いまひとつ判然としません。

かかる形式の話は、後に仏教にも取り入れられ、大きく展開してゆきます。あるいは、もともとは仏教関連のエピソードだったのかも知れません。2人の男は冥界の使者(役人)で、死期の定まった人間をあの世へ連れてゆく役目を帯びています。善悪の価値観を超…

『詩経』において、男子が熊や羆に喩えられているのは、強い生き物というイメージがあるからでしょうか。 / 史料5の『詩経』をみて、中沢新一の『熊の王』を思い出しました。動物の王が、子として宿るという解釈はできますか?

熊はやはり、アジアにおける動物の王というイメージなのでしょうね。『周礼』の方相氏条をみると、辟邪の役割をなす方相氏は熊皮をかぶっており、これは動物の王の威力なのだろうと思われます(ただし、中原の文献からは、その後ほとんど熊の記述は見出せな…

占夢の文化は、近代に入ってどのような経過をたどり、現在のような娯楽に落ち着いたのでしょうか。とくに太平洋戦争期のことが知りたいです。

まずやはり大勢においては、近代化の流れのなかで排斥されてゆくことになりますね。しかし大正前後の近代オカルティズムのなかで、大いに見直しが図られることも確かです。夏目漱石や芥川龍之介など、夢を題材とした作家の作品も増えますし、とくに宮澤賢治…

登場する龍が、史料8『新集周公解夢書』など黒で、史料18の『眞誥』では白ですが、何か意味があるのでしょうか。

まずは五行による意味づけでしょうね。史料18の白龍は東を向いて飛んできますので、西からやって来たものと考えられます。五行において、西方は金属で、色としては白です。同様に黒は水属、方角は北です。史料5の黒龍は水に関係する北のもの、ということに…

史料18の『眞誥』に出てきた柘榴入りのお酒や魚菜には、一体どのような意味があるのでしょうか。

柘榴については、体内にあって宿主の悪業を天帝に報告してしまう三尸の働きを抑制する機能があるようで、三尸酒などの名称で柘榴入りの酒がよく飲まれました。魚菜については、「魚肉を断った食事ではなかった」点が重要なのでしょう。しかし、もともとが夢…

夢のなかで修行をするというのが面白かった。芥川龍之介の作品にも、仙人に夢のなかで鍛えられるというシーンがあったが、類似を感じた。

『杜子春』ですね。唐代伝奇の鄭還古『杜子春伝』が原作ですから、似ているのは当然です。ただし、原作の方も芥川作品の方も、「夢で修行をする」という枠組みではなかったように思います。覚めてみたら一瞬の幻だった、という展開ですね。夢のなかで一生の…

周子良のように、夢と現実との区別がつかず、夢に執着しすぎて何かしら生活に支障を来した、といった人の例などは実際にあるのでしょうか。

どうでしょうねえ。やはり仏教や道教の修行世界においては、そうした現象は日常茶飯事に起きていたと考えられます。仏教の場合は、現在の日本天台宗でも、菩薩戒受戒の際に仏を目撃する好相行を達成していなければなりません。修行者の得た経験が真正のもの…

敦煌文書の解夢書について幾つか事例をみましたが、夢は幽体離脱の結果と信じられていたわけでしょうか?

中国においても、夢に対する考え方には変遷があり、また階層によっても認識のありようが異なっていたようです。敦煌文書の解夢書は、寝ている間に魂がみた現実との思想が根底にありますが、しかし書物のなかには未来のことも書かれていますので、やはり夢が…

夢は目が覚めるとすぐに忘れてしまうものと思いますが、印象に残った夢を占うのでしょうか、それとも起きてすぐに占ったのでしょうか。

夢に関しては、訓練次第でみた夢をかなり長い間鮮明に覚えておくことができるようになったり、夢のなかで自由な振る舞いができるようになったりするようです。起きたらすぐに覚えていることを書き留める、というのが有効な方法のようで、日本の中世初期に活…

私たちは占うときに数を数えるのに必死で、問いを念頭に置かずに占っていたのに、それでもどの問いに対しても合うような答えが出ていたので、やはり占いは信じ難いなと思いました。

いや、ぼくも頭から信じているわけではありませんからね。ただし、易の内的世界からいうと、筮竹を操って卦を出している間は、やはり無心である方がいいようです。自らの恣意を棄て、天・地・人と一体化することが求められるのですね。易は実践しているとそ…

一応、ここにも学期末レポートのテーマを解説しておきます。また、評価のポイントについても載せておきましたので、執筆の際の参考にしてください。

【テーマ】 講義で扱ったトピックを任意に選ぶか、もしくは、自分の専門分野における歴史叙述/神秘体験(卜占、憑依、夢、怪異等々)の関係についてテーマを設定し、自分で調査し考察せよ。・自分なりの問題観心を持つこと。文献は批判的に読み込むこと。事…

韓国の国旗には八卦の模様が描かれていますが、あれは易の思想が根底にあるのでしょうか?

まさに、韓国の国旗は易に基づいた「太極図」です。中央の円は陰陽和合の太極であり、その四方には乾・坤・坎・離の正卦が配されています。乾は天、坤はが地、坎は月、離は日を象徴しています。

易の成立に関する伝説がありましたが、爻や卦、卦辞・爻辞などを神や聖人たちが作ったとするなら、なぜそれでも亀卜の方が重要なのでしょうか。

やはり、歴史的事実として亀卜・骨卜が王朝の重視してきた卜占法であり、易はそのなかから生まれて、次第に権威付けが図られていったためでしょう。いかに易がその存在を古く誇張しようと、亀卜・骨卜の伝統性・正統性は常に厳然と動かなかったものと考えら…

易で使われる数字には、何か意味があるのでしょうか。

基本はすべての卜占で重視される3で、「鼎の軽重を問う」でも暗示されているように、これは世界を支える基本的な数です。易で用いる陽数=奇数、陰数=偶数も3の倍数で表現しますので、前者は9、後者は6となります。この6と9を合わせると陰陽和合の形…

1人で易を行わず、6人で占うというのが面白かったです。全員に結果が反映されるのでしょうか?

いや、これはぼくが考えた方法ですから、どうでしょうね。6人を1人の人間として占うというのが基本ですので、出た結果は間違いなく6人ともに適用されます。

何となく陰より陽の方が出ると嬉しいのですが、それは印象にすぎないのでしょうか。

確かに、陰より陽の方がよい爻辞が書かれていることが多いですね。しかしやはり、陽は組み合わせです。例えば、陽爻ばかりを持った乾卦でも、その最も上に位置する上九の爻辞をみると、「龍が頂点に昇り詰めてしまったのでもう落ちるしかなく、危うい」とい…

占いの仕方を間違えてしまいました。これは結果に影響を及ぼすのでしょうか。 / 途中で筮竹を落としてしまったりしたら、やり直しなのでしょうか。

普通は、きちんとした手順に従って結果を出しますので、間違いは訂正されなければなりません。間違いをしたまま事を進めてしまうと、結局、「あれでよかったのか」という後悔が常に残り、良い卦が出ても安心できなくなります。筮竹を落としてしまった場合も…

卦の象の手・足・口…などとあるのはどういうことでしょう。

陰陽五行の場合も五行配当というものがあって、例えば方角でいうと木・火・土・金・水はそれぞれどこに当たるか、人間の身体でいうとどうか、六畜でいうとどうかなど、万物の属性が五行で分類されるわけです。卦の象も似たようなもので、貞問の内容によって…

変爻を行う意味が分かりませんでした。権力者の都合に合わせるためでしょうか。 / 本卦と之卦は、よい結果が出る方を使うということでしょうか。

レジュメにも書きました(説明はしませんでした!)が、変爻が出ると必ず本卦(変化前)・之卦(変化後)が生じますが、それが幾つ出るかで本・之どちらを参照するか、卦辞・爻辞どちらを参照するかが決まるのです。ここにも載せておきますが、以下のとおり…

占いの実践はとても楽しかったですが、私はどうやってこの方法を考えたのか、そちらの方が気になりました。

そうですね、ぼくも関心がありますが分かっていません。古代ギリシャでも、例えばピュタゴラスの数学がもともと宗教的意味を持っていたように、世界や宇宙に対する数学的探求が原型だったのではないかと思われます。「天文」という言葉があるように、世界の…

レポートの内容ですが、講義の初回にみたユタに関してでも構いませんか。

構いません。でも、結構難しいと思いますよ。

史料19では、帝の下に神が位置していますが、この秩序は曖昧であるという理解でいいでしょうか。

日本古代のそれの源である中国の秩序では、帝は神よりポジションが上なのです。殷代の解説でも少し触れましたが、殷王朝の至上神は上帝で、その至尊さは人間の理解を超えており、一切のコミュニケーションを拒絶する存在でした。これが周王朝以降に「天帝」…

この時期の五行に基づく卜占は、後の道教に関するものなどとどう違うのでしょうか。

春秋〜戦国期の五行占は本当に初発の時期のものですので、後世のものに比べて極めて単純です。後世には、万物の五行配当が複雑化・多様化していったり、相生・相克の説明付け自体も容易には解明できないものとなってゆきますが、史料19に挙げたようなものは、

占夢は特別な道具を必要としないので、巷間でも多く行われたと思うのですが、それで何か問題は生じなかったのでしょうか。

最後から2回目の講義で『詩経』を扱いましたが、仰るとおり、巷間では様々な俗信的方法で占夢が試みられていました。しかし、その大部分は個人や家、氏族に関する事柄であって、国や王権の存亡に関わる重大事ではなかったので、大きな問題は生じなかったと…

子産の神話=歴史に関する知識の豊富さは分かりましたが、彼は卜官とは無関係な人物だったのでしょうか?

子産は、公孫僑との諱からも分かるとおり、鄭国の宗族(君主の一族)でした。子産の父親が鄭公の子(公子)、彼はその子すなわち鄭公の孫(公孫)に当たるわけです。ゆえに、史官や卜官の一族ではありませんでした。しかしその家柄から、当時の卿・大夫らが…

史料20では、占夢官が書物を参照して占断を行うようにみえますが、他のところでは何も使っていないようにみえます。なぜでしょうか。

もちろん、史料的にどこまで正確な書き方をしているのか、細大漏らさず描いた網羅的な記録なのか、という問題は常にあります。ゆえに、情況に応じて具体的な占夢のあり方は異なるでしょうが、文献を参照したらしい痕跡がある以上、通常の亀卜や易筮と同じく…

凶夢を吉夢に変えるということは、夢に力があるのではなく、言葉に力があるということでしょうか?

これまでみてきた殷代の亀卜・骨卜や易筮と同様、解釈の仕方を変えることによって「よりよい未来を選択する」という考え方が貫徹しているのでしょう。甲骨に生じたひび割れ=卜兆や易の六十四卦自体も重要ですが、本当の問題はそれをどう読み解くかにあるわ…