2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧
冒頭にも少し述べましたが、毛皮は狩猟における最重要の交易品であるとともに、動物の生命エネルギー、呪術的能力の宿る部位だと考えられていたようです。異類婚姻譚・変身譚でも、毛皮は異類への変身の道具として使用されます。次回扱う因幡の素兎の神話で…
史料1にしても2にしても、現実における人間と猛獣との関係が「ただの殺し合い」であることは前提で、それがいかに表象されていたのかを考えることが重要なのです。史料1の虎は中国や朝鮮で熊と並び神としての扱いを受けてきた獣であり、膳臣もその交渉に…
「死」のみというより、「死と再生」の世界が象徴されているということです。縄文のストーンサークルも前方後円墳も、思想的背景は異なるものの、いずれも死者の再生を願うものです。月は、満ち欠けという現象によりやはり「死と再生」の象徴とされ、装飾古…
もちろんそうした配慮はあるのでしょうね。熊の精霊は耳と耳の間にいると考えられていたようですので、「魂と肉体の分離」を想定したとき、首と胴を分離するかのような所作が選択されたのかも分かりません。
講義で「古老たちが子熊に花矢を放つ」と説明しましたが、このとき、子供たちも弓をもって参加することがあったようです。村を挙げてのお祀りですので、子供のみが隔離されるということはなかったでしょう。もちろん、私たちの「子供にみせるには残酷すぎる…
アイヌにももちろんシャーマンはいますが、イヨマンテは長老が祭主を務めることが多かったようです。講義で紹介した映像は、アイヌ民族博物館が、若いアイヌたちへ伝統文化の知識・技術を継承されるため企画したもので、日川善次郎氏という古老の伝承知識に…
言語学や認知科学の世界では、あるものを同定しようとする場合には、他の物との差異化が必要であるといわれます。人間が獣を獣として認識したとき、自分たちがヒトとして立ち現れてくる。あるいは逆に、自分たちをヒトと認識したときに、獣は獣として姿を現…
ぼくも勉強し始めたところなので正確な知識ではありませんが、東巴は基本的に世襲の宗教的職能者であったようです。祭署の神話にも登場した、「東巴の祖神」丁巴什羅の存在によってもそのことが分かります。東巴文字の読解、経典の暗誦など、かなりの特殊技…
署神の寨に巻かれた麻布ですね。あれは、寨の境界を示すとともに、日を跨いで行う祭署などの際、一日の次第が終了した後、署神にお休みいただく、お眠りいただくために用いるようです。翌朝祭祀を始める前には、『鶏鳴喚醒署神』という東巴経を読誦して、署…
祭署そのものの成立年代を推測するのは、史料的に非常に困難です。ひとつのポイントは経典を記す東巴文字の成立上限で、これは14世紀頃といわれています。文字のうち「帝王」を示すものが、モンゴル帝国のハーンの姿を写しているため、雲南がその影響下にあ…
日本史や東洋史で卒論を書くつもりなら、原文を読む力がなければだめでしょう。結局、「書き下し」や「注釈」はある一個人の解釈によって成立するものですので、これも事実そのものではありません。漢文は読み方によって意味が違ってしまう場合もありますし…
日本固有ですか……代表的なのは、やはり鬼や天狗でしょうね。「鬼」は中国の言葉では死霊を意味し、疫病をもたらす疫鬼をはじめさまざまな悪霊が存在します。日本に入ってくると、「隠」の音から発するらしいオニの言葉が当てられ、まずは姿形の定かでない悪…
講義との関連でいえば、例えば「殺された女神」や「穂落神」の神話・伝承でしょうか。前者は『日本書紀』『古事記』に記載のある穀物化生神話で、スサノヲ(あるいはツクヨミ)が穀物神のオオゲツヒメ(あるいはウケモチ)を殺すと、その死体から穀物や蚕な…
経年変化に強い石材を墓碑として明確な墓所を作り、子孫に及ぶまで墓参を続けるという年中行事的な習俗が庶民にまで及ぶのは、やはり近世でしょう。それ以前は、埋葬されても後々場所が分からなくなったり、そもそも個々人の埋葬地をはっきり覚えておく必要…
輪廻の考え方が根付かなかったわけではなく、仏教が伝来したばかりで充分流通していなかったということです。神身離脱言説が列島で語られ始めた8世紀後半、ひとつの命は生まれ変わり死に変わりを繰り返すから、あらゆる生き物は自分の父や母といえるという…
いちばん手軽なのは『高僧伝』でしょう。これは昨年から、岩波文庫として現代語訳が刊行され始めました。一般の書店で入手できます。
『西遊記』も、確かに神仏習合の世界が前提ですね。しかも玄奘の天竺訪問がモチーフになっていますので、仏教優位に作られています。天帝や泰山府君、太上老君などの道教の神々も登場しますが、彼らは釈迦を師と仰いでいるわけです。孫悟空自身が道教的な存…
よく気づきました。この表現にはさまざまな問題が隠されています。ひとつには、中国で夢に梵僧や金人(金色に輝く神人)が現れて僧侶に夢告を行う、という言説形式(物語、表現の型のようなもの)が存在することです。『大師伝』はこれに倣っているのでしょ…
日本の『古事記』や『日本書紀』の段階でも、単なる自然の象徴を超えた、人間的な神々が登場します。神や精霊の姿は、おそらく最も古い段階では森羅万象そのものの形で表され、やがてそれらに宿る霊的なものとして人間に近い容姿で表現されるようになります…
必ずしもそういうわけではありません。おそらく、現在表層的に把握できる相違は、アニミズムの歴史段階の相違や、どの時期の史料が豊富に残っているかによって生じているものでしょう。中国でも山や川そのままを神と崇める事例は確認できます。著名な五岳信…
伝来は書物によりますが、講義でも扱った『高僧伝』の類や、それを引用した『法苑珠林』などの類書の影響が大きかったと思われます。8世紀、律令国家のもとで仏教の輸入が急速に進みますが、国家の許可を得て得度した僧侶のなかには、月の半分を都にて教学…
『古事記』の古い刊本のなかには、「祓」を「抜」と誤って書いているものがあります。正確には、スサノオは手足をもぎ取られたのではなく、鬚と手足の爪を切られて追放されたのです。鬚・手足の爪を切ることには諸説ありますが、供犠される人物には鬚の豊か…
もちろんあります。妖怪との異類婚姻譚を理解するためには、まずは「妖怪」という概念の範囲を決めなければなりませんが、例えば中国東晋の『捜神記』(4世紀後半)には、猿のような化け物が人間の女性を掠って子供を産ませる話が出て来ます。『古事記』の…
ぼくも一昨年は、縄文時代から平安浄土教に至る日本の他界観の成立過程を論じましたので、開講はしていませんが質問には答えられると思います。その他、神学やキリスト教人間学の先生方で、仏教に詳しい方もいらっしゃいます(高山貞美先生など)。ぜひ探し…
様々な原因が考えられますが、ことは宗教的な問題だけに止まらないかも知れません。関西と関東では、実は自然環境の様相も微妙に違います。例えば植生ですが、関西は朝鮮半島南部から中国雲南省などに至る照葉樹林帯、関東は半島北部へ連なる落葉広葉樹林帯…
美術「史」のアプローチとしては、大きく分けて、作家個人に注目してその成り立ちを探る作家論と、時代的・社会的背景に注目する作品論とがあると思います(象徴的分析、図像学的分析も含む)。美術評論ではなく歴史学としての美術史の場合は、後者が盛んで…
もちろん、高校の教科書(たぶんこちらの講義で扱うのは、その数ページに過ぎないでしょう)や、シラバスに挙げた参考書を自分なりに読み進めてゆくというのもひとつの方法です。しかし、とりあえず講義をしっかり聞き、分からないことを事典や用語集などで…
日本古代史では、むしろ文献学的視点が主流であり、基礎であるといっていいでしょう。それは古代史に限らず、日本史分野全般においていえることかも知れません。それは、江戸時代の極めて精緻な漢学、文献考証学の視点を受け継いでいるからです。近年の『日…