日本史特講:古代史(09春)
そうであったら面白いのですが、現在の壬生は、湧水が多かったために「水生」と称されたことが起源であるようです。湿地帯なんですね。
残念ながら、葛野大堰に関する文献史料は講義で挙げた『政事要略』のものだけなので、成立過程に関する具体的なことはよく分かっていません。考古学的には、渡月橋の南東傍らから、古墳後期の大溝(大堰からの水路)が発掘されていますので(松室遺跡)、6…
直接的には次男のことを指します。民間信仰の世界では、この李二郎をモチーフとして二郎真君という英雄神が誕生し、『西遊記』や『封神演義』といった伝奇小説・演劇などでも大活躍します。「二」の意味についてはいろいろ考察することが可能ですが、家制度…
かつては、例えば国家仏教の官寺などの活動は民衆にとって無縁であったと考えられていましたが、近年の研究によって、国家公認の官僧が広く地方へ赴いて一般へ布教したり、東大寺のような大寺院へも庶民が参詣していたことが明らかになってきました。古代人…
狩猟採集社会においては、それぞれの自然環境を象徴するような動物が、「主」として信仰されていたようです。例えば、湿地帯における蛇、山における熊、海におけるシャチといったような存在です。牛や馬は水辺に生息していたので、水と関連付けられて神格化…
当然そうですが、逆にいうと、時々は氾濫が民衆に被害を与えなければ、広隆寺の恩寵が際立たないということもあります。被害が生じたときには、「民衆の側に災害を被る必然性があった」などと喧伝することで、治水機能が発揮されなかった言い訳をすることが…
公認/非公認というより、李冰の背景に王権の権威が存在することの暗示とみてとれるでしょう。『日本書紀』や『常陸国風土記』の神殺しの伝承に、「たとえ神であっても、天皇の命令に逆らうことができようか」といった、英雄が皇権によって支持されているこ…
やはり神婚という形式を前提としているので、初婚=未婚の女性を神の相手に選ぶというのが慣習だったのでしょう。この点、中国と日本には少々差違があったようで、近年の日本古代祭祀の研究によれば、古代の神に仕える女性は(奉祀期間に精進潔斎していれば…
秦氏の葛野定着を偶然ととるか、それとも王権の意志の介入を考えるかによって、位置付け方は違ってくるでしょう。私は講義でお話ししたとおり、両方の面があると思っているのですが、いくら渡来系であるからといって、秦氏のすべてが治水技術に秀でていると…
県主に任命される豪族を首長にいただいた政治集団(幾つかの村落を含んだ領域的なもの)といえるでしょう。国造の治める国とどう異なるのか、なぜ県に位置付けられたのかは不明の点も多いですが、やはり開発に適した地域や交通の要衝、周辺の共同体を集める…
王権が各氏族の「神」までをとりあえず把握しようとするのは、天武から元明にかけての国史編纂が最初で、このとき初めて神統譜も作成されたようです。しかし、その目的は氏族におけるウジ・カバネの混乱、すなわち王権との関係の来歴の捏造を正すためで、そ…
皇子や皇女に冠された名前は、原則としては、養育氏族やその根拠地から付けられたものと考えられています。葛野王も、葛野地域に根拠を持つ豪族に養育されたとみていいでしょう。彼の出自や来歴は、『続日本紀』や『懐風藻』によって追うことができます。大…
雷神なので、やはり天に昇ったということでしょう。これまでお話ししてきたように、雷神は農耕の必要に応じて天から勧請される存在になるのです。
この場合の神聖なものは、天神/地祇の区分でいうと地祇なんですね。ですから、雷神として天にあっても、それは地上の領分でいわゆる高天の原には由来しない。川上から神が流れてくるのは、その源流たる湧水点、あるいは山が神のある場所として聖別されてい…
玉依日売の「玉」も玉の緒の「玉」も、基本的には同じ意味で神霊を指します。これを近現代的に、神の魂、人間の魂、心霊、生命、などと区別して考えるとややおかしくなるのですが、古代においてはこれらは等しく「タマ」と呼ばれるもの、根を同じくする生命…
確かに、始祖として動物を置く、一種トーテミズム的ともいえる発想は、日本古代では珍しいかも知れません。しかし神話のなかでなら、蛇の正体を持つ三輪山の大物主神や、神武天皇の祖母にあたりワニ(もしくは龍)を正体とする豊玉毘売など、幾つかの例を挙…
例えば、有名な飛鳥の高松塚古墳では、棒で丹念に固めた墳丘の版築層から、筵の跡らしきものが発見されています。これは、土が崩落しないように筵を敷き、そのうえから土を固めていったもので、古墳中期頃より各地の治水堤防などでみられる「敷葉工法」と同…
恐らく、国家において試験を課すというより、各地域で優良な実践者を推薦する方式だったのでしょう。卜部については分からないことも多いのですが、平安期の記録には「亀卜得業生」という言葉も出て来ますので、国家的に亀卜技術者を育成するシステムも作ら…
どこかで聞き間違いがあったものと思います。弥生時代の鹿を用いた卜骨は列島各地から発掘されていますが、古墳時代以降に出現する亀甲を用いた卜甲は、対馬・壱岐など玄界灘周辺と、南関東の海岸付近からしか見つかっていないということです。それらの地域…
やはり、『古事記』『風土記』『日本書紀』にはそうした史料が多いですね。それはこれらが、宮廷や各氏族、各村落共同体などに伝わった伝承を主要なソースのひとつにしているからです。それらでは、神話や伝承が歴史とイコールにみなされていましたが、伝承…
「月読」は農事暦に関連しますが、月の色などを何らかの予兆とみる卜占的な風習は世界各地にあったようです。壱岐氏が月を信仰するのは、やはり海上交通のよるべとしてでしょうが、現地にはやはり航海の安全を祈る卜占が発達していました。遣唐使の渡海の際…
よくは知りませんが、当然地名から付けられているはずです。有栖川宮は旧高松宮で、御所の東北に邸宅が位置していたはずですから、場所的には東西に隔たっていますが、改称時に何か特別の思いがあったのかも分かりません。少し調べてみます。
ポイントは4点あります。まず1点目は、講義の内容が踏まえられているか。別に私の話に賛成しろといっているわけではなく、批判であってももちろん構わないわけですが、ちゃんと講義を聞いて理解していることを示してほしいわけです。第2に、問題意識の明…
【テーマ】講義で取り扱ったトピックから、〈渡来〉を中心に据えて任意にテーマを設定し、史料・研究文献を読んで調査して、自分なりの考えをまとめなさい。なおその際、講義の内容を踏まえること(批判しても構わない)。 【枚数・形式等】A4版用紙使用で…
江戸時代に用いられた白粉には他に鉛を用いたものもありますが、水銀を使ったものと同じく中毒症状を引き起こすものでした。水銀については、皮膚病や腹痛、梅毒などに治療効果があるとも考えられていたくらいで、中毒の治療法は確立していなかったようです…
律令国家の構築した神々の秩序に対する公式見解は、当初、『書紀』神代観の本文に拠っていたと考えられます。しかし、平安期には次第に『先代旧事本紀』や『古事記』の解釈が重要視され始め、その傾向のなかで次々と新たな氏文や縁起が作られ、中世神話の爆…
それはケース・バイ・ケースだと思われます。神々の宿る自然物のいかなる要素を神的とみなすかが、それぞれの神の力の大きさへ結びついてきます。例えば、巨大さに神聖性を認めて神の坐すとみなされた山と山ならば、同じ基準で力の大小を比較することが可能…
古墳時代には、歴史時代の神社に結びつくような祭祀遺跡が出現しますが、それらの多くは、人間の開発が拡大したその向こう側の領域へ設定されてゆきます。例えば山の神聖視も、弥生期〜古墳期にかけて麓の開発が進むにつれ、次第に禁足地化が進んでゆくこと…
秦氏の個々の集団が自らの意志で生活地を選び取ったというより、王権の側が産業を指定し、それに合った集団を配置したと考えるのが妥当です。問題はどのような集団編成を行ったのかですが、今回からお話ししている葛野秦氏を例に考えてゆくと、どうやら個々…
『往生要集』を著した源信の師匠である良源は、天台宗では、草木成仏論の喧伝者のようにいわれています。彼の説では、生命が生から死に至る四相=生・住・異・滅、植物にもあるその時々の姿が、そのまま発心・修行・菩提・涅槃を表すとなっています。すなわ…