聖徳太子が実在しなかったとすれば、冠位十二階や十七条憲法は誰の業績なのでしょう。

冠位十二階や十七条憲法自体の存在意義が問われているわけですが、当時の政権の首班を担っていたのは蘇我馬子であり、推古朝の政治を運営していたのは彼であったと考えられています。大山さんは、アカデミックな世界で唯一、蘇我氏が大王であった可能性にも言及しています。