皇位継承とは、そもそも誰がどのように決めていたのですか。

当時は、継承者は天皇や皇后の一存で決められるわけではなく、王族や群臣の同意が必要でした。支配層の利害が一致しなければ、即位の実現は難しかったのです。それゆえに、7〜8世紀にかけては、しばしば有力な候補者とその支持者たる大豪族の間で、しばしば大きな対立や騒乱が起こっています。皇太子制が成立するのは天武朝と考えられていますが、天皇の生前に明確な皇嗣を定めておく方法は、そうした混乱を抑えるために案出されたものと考えられています。それでも対立が止まなかったのは歴史が証明していますが、例えば藤原氏が摂関を独占し外戚として君臨したのも、そうした王権の不安定さを補完する意味があったともいえるでしょう。