大津皇子に才能や人望があったとすると、天武が彼を後継者に選ばなかったのはなぜだろうか。

やはり後継者は天武単独の意志では決められず、皇后(正妃)の意向が反映したということでしょう。実は、天武のもともとの正妃は、鸕野讃良ではなく姉の大田であったと考えられています。大田が存命であれば大津が皇太子に立てられたのでしょうが、残念ながら早世し、正妃が鸕野讃良に移ってしまったために、草壁が後継者に定められることになったとみられます。