弥生は稲作に選択的な生業となって、充分に飢えをしのぐだけの収穫を得ることができたのでしょうか。 / 森林が各所で伐採されたそうですが、どのように伐採されたのですか。また、伐採後の樹木は何かに使用されたのですか。 / 森林を伐採して水田化するほどに、弥生時代の人口は多かったのでしょうか。

伐採は磨製石斧によるものなので、現在の我々が行うよりかなり苦労が多かったと考えられます。ですから、低湿地林の伐採も、それなりに時間をかけて達成されていったとみるべきでしょうね。人口史の権威である経済学部の鬼頭先生によると、日本列島の人口は、縄文時代の終わりには約26万人に達しており、弥生時代には約60万人程度であったようです(遺跡や墳墓などの規模、数量に基づく算出)。灌漑技術の進度からして、未だ平野でも水を引きにくい場所の水田化は困難であったろうと思われますので、とにかく低湿地林の伐採が稲作の前提作業のようになっていたのでしょう。また、奈良時代へ向けて人口が7〜8倍に増加してゆくことを考えれば、人々の糊口をしのぎ余剰を蓄えることは充分にできたものと推測できます。