日本人は自然と共生してきた、といった発想はいつ頃生じたのでしょうか?

「自然との共生」を語ること自体が近代的発想ですが、自然愛好のような視線は『万葉集』などの段階からみることができます。しかしそうした歌を詠みつつ、一方では大規模伐採を行い、山を削り、川を付け替えるような開発を実行していたのも確かです。現代日本では里山の評価が高く、「日本の稲作は常に水甕としての山が必要だったので、豊かな緑を背景に実行されてきた」などと喧伝する学者もいますが、まったくの嘘っぱちです。近世〜近代の都市周辺、農村周辺では、主要肥料である草肥を得るために多くの山々が丸裸にされ、芝山・草山・禿山となっていたのです。現在のような「緑豊かな里山」は、農業が衰退したため戦後に生じてきた現象で、多くの人々がそれ以前の風景を忘却してしまっているのです。