『日本書紀』に脚色があるのは分かりましたが、書かれた当時に批判はなかったのでしょうか?

まず、現在のように過去そのものの価値を認める近現代的歴史観と、古代の歴史観とを同質のものとみてはならない、ということが前提です。前近代のアジア的歴史観は、現在をいかに生きるべきか、またよりよい未来を獲得するにはどうすべきかを主眼に置くもので、過去はそのための試金石なのです。中国王朝では、過去が倫理・道徳の根源となり、それゆえに事実が重視される傾向が強くなりましたが、未だプリミティヴな段階にあった日本では、歴史は神話に近いもので、より強固に現在の需要や欲求、利害関係を反映した形になったのです。『日本書紀』の神話の部分は、前後に作成された『古事記』とは異なり、多くの異伝を収めた客観的体裁を採っていますが、これは、それぞれの伝承の持つ意味を解消し一本化することができなかったともいえるのです。よって、撰進された『日本書紀』は、支配層に結集した諸勢力の妥協の産物でもある。むしろすべての「事実」を記した方が、多くの批判にさらされた可能性もあるでしょう。