当時の「氏族」とは、どのような共通意識を持った連合だったのでしょうか。今の親戚とはまったく違うのか?

必ずしも血縁で結びついているとは限らず、本拠が隣接しているという地縁的関係や、氏族制に基づく職掌から擬制的な共同体を形成していることが多かったようです。とくに興味深いのは後者、王権がその形成に関与している場合です。例えば、最大の渡来系氏族秦氏などは、それこそ日本全国に分布して殖産興行的役割を遂行していますが、その内容は養蚕から建築、鉱業、耕地開発など極めて多様で、とても単一の血縁集団とは考えられません。多くの史料の分析を通して、5世紀後半〜6世紀初に活発に日本列島へ流入してきた複数の渡来人集団を幾つかのグループに編成し、山背地域の秦氏の本宗家に統括させたものと推測されています。