時代は異なりますが、以前勉強した平安頃の書物には、血などの穢れを宮中に持ち込んではいけないと出ていました。この時代には、それが可能だったのですか?
貴族社会でケガレ意識が急速に高まり、制度化してゆくのは、9〜10世紀のことです。それまでプリミティヴな汚穢への嫌悪感はありましたが、例えば血に対する神経質な忌避はありませんでした。6世紀はまだまだ動乱の時代で、王位継承も実力がものをいう面があり、血なまぐさい事件が頻発していたということもあるのでしょう。7世紀に至ってもその気風は継続しており、中大兄のように、王族自身が戦闘の最前線に立つに至っているわけです。彼は入鹿暗殺後、飛鳥寺に入って本陣とし、向かいの甘橿丘にある蝦夷邸を攻めています。またご存知のとおり、弟の大海人は壬申の乱を起こして、甥の大友から政権を奪取しています。平安時代より政治は直接行動的で、そのためケガレ意識も未発達であったものと思われます。