国家とはいかなるものかという最後の言葉に目が覚めました。常識というものは、目を濁らせるものなのでしょうか?

いわゆる「常識」がどのように形成され、いかなる機能を果たしているか見極めることが大切でしょうね。例えば、多様な個体が共通の社会を営むうえでは、合意事項としての「常識」が有効な役割を果たすでしょうが、こと学問の世界のことになると、「常識」は最初に捨て去らなければならない固定観念となります。「常識」に留まっていては、研究する意味、学問の存在意義がありません。同じように、常に「常識」を客観的に捉えることができれば、世界のみえかたも変わってくるでしょう。