布施は、現在は僧侶の宗教行為に対する料金のように考えられていますが、本来は修行のひとつで、モノへの執着を断つ行為です。ゆえに、仏教の始まりから存在しました。行基集団は、その活動を展開してゆくために、集団に帰属する僧侶たちの出身氏族による援助のほか、平城京周辺で大規模な托鉢行を行っています。托鉢も修行の一種ですが、僧侶は生産活動を行わないため、1日の午前のうちに、衣服や食物の施しを求めるのです。しかしそれが非常に対規模であり、政権によって平城京の秩序を攪乱するものとみなされたため、行基らは律令国家から弾圧を受けることになるのです。