旧跡捏造事件を東北史の問題として捉えるべきだ、との議論に納得しました。そのうえでですが、歴史家自身とその人による歴史の関係はどうあるべきでしょうか。その歴史家の境遇だからこそ生まれる論もあれば、捏造を生じてしまうこともある。先生の意見を伺いたいです。

重要な質問ですが、まさにあなたが言い当てているとおりなのです。われわれは、狭小で歪められた主観しか持ちえず、普遍的な客観性には絶対に到達することができない。しかしだからこそ、私しか、あなたしか気づけない、過去の一点が存在するのです。主観は歴史研究者の重要な武器であって、必ずしも弱点なわけではありません。しかし同時に、主観であるということは、独りよがりの偏った見解にも、簡単に陥ってしまう危険が伴います。だからこそ学問とは、独りで対象に立ち向かうものではなく、多くの専門の研究者と議論し、専門外の人々とも意見交換し、批判に真摯に耳を傾けてゆくことで、初めて成立するのです。