倭人はいつ倭人という自覚を持ったのでしょうか?

時代、地域や階層によって、大きく異なる問題です。ヤマト王権以降も、朝鮮半島や中国大陸と直接的な交渉のない東日本太平洋側の人々は、なかなか持ちえなかった意識であると思います。というのも、「倭」人という認識は、①日本列島がひとつの国家(もしくは社会・文化的な統一体)である、②中華王朝による「倭」のカテゴリーを自身のこととして受容している(建前的にも)、という2つの認識レベルが統合されているからです。また①においても、九州の隼人や熊襲、東北の蝦夷などは、「倭」人とは異なる文化を持つ者と捉えられていました(むろんヤマト王権側からみれば、中国王朝に従属する夷狄を、あえて列島内にも政治的に創り出すことで、小中華の王としてのポジションを構築しようとした節があります)。隼人や蝦夷の側でも、自分たちとヤマトとを差異化しようとしていた形跡があります。よって、列島に住む人々すべてが自分たちのことを「倭人」と認識したのは、列島が「倭」と呼ばれていた時代にはありえなかったことだろうと考えられます。