倭の五王が、ひとつの血縁関係にあるとみせかけようとしたのはなぜでしょうか?

王位の継承に、中国的な父系原理を採用しているとみせることが、倭が文明国であると標榜することとイコールだったのでしょう。上表文が東アジアの外交文書の形式をしっかりと踏襲していることは、文中にも名前のある曹達ら、背後に渡来人の活躍があったことが想定されますが、この点も彼らの献策によるものかもしれません。ただし、『宋書』に珍と済の続柄が記されていない点からすると、宋は倭の内実をよく知っていたのではないかと思われます。