奈良朝には天智に対する信仰が強くあったとのことですが、どのようなところにみられるのでしょうか?

先日授業でもお話ししましたが、まず皇位継承法を定めた「不改常典」です。これは実態が不明ですが、「天武皇統」とされた人々によって、即位を正当化するために言及されます。大宝2年(702)には、天智の忌日も「国忌」として定められました。また、『懐風藻』の序文には、日本における文芸の始まりは天智の大津宮にあり、これが壬申の乱で灰燼に帰してしまったため、奈良朝においてはその復興を行わねばならない、といった趣旨のことが書かれています。皇位継承から文芸に到るまでのもろもろが、天智を起点に定められているのです。