2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧
屈葬については、大別して2つの理解の仕方があります。ひとつは、死霊が災禍なすものとして回帰することを防ぐため、もうひとつは、胎児の姿に戻すことによって再生を願ったのだというもの。いずれも、かつて文化人類学で議論となった、祖先崇拝はなぜ始ま…
授業ではお話ししませんでしたが、縄文中期、巨大集落が一度解散してまた再集合するような場合に、幾つかの人骨を合葬した再葬墓が登場します(茨城県中妻貝塚、千葉県祇園原貝塚、千葉県宮本台遺跡など)。分散した「家」の象徴である祖先=人骨を、人びと…
これについては、日本列島側に史料になりうるものが残っていないので、何ともいえません。しかし縄文時代の場合、こうした変化が顕著にみられるのは主に関東以北、東北地方なので、中国の直接的影響下にはないものと思われます。東シナ海を挟み、中国の江南…