2019-05-06から1日間の記事一覧
うーん、難しいですねえ、いい質問です。いま、手許に環状集落、墓地出土の遺骨に関する、性別が分かるデータがないのですが、〈祖先〉として扱われるものに性別の偏差があるかどうかは、確かに考えてみる必要はありますね。ただし、縄文時代の文化的象徴を…
ぼくも気になるところですが、大雑把にどうこう考えるより、個別に検討してゆくしかないでしょうねえ。ひとついえるのは、生死や身体に関わるような、われわれがそれほど急激に変化しない、場合によっては何百年、何千年もあまり変わらないと考えている心性…
例えば、福岡市博多区の板付遺跡(縄文晩期〜弥生早期)からは、縄文時代の突帯文土器(夜臼式土器)と、朝鮮系の無文土器、この両方の特徴を持った土器=板付式土器(突帯文と無文の表面を持つ)が出土しています。すなわち、同遺跡にあった集落では、朝鮮…
縄文土器に匹敵する土器は、同時代の世界のどこにも存在しないので、確かに画期だということはできるでしょう。それ以降の弥生土器、須恵器、土師器など、列島的な陶器文化の起源をなす、という点においても重要です。また、縄文土器が青銅器や鉄器と異なる…
縄文時代の紋様のうち、押型文、貝殻沈線文、条痕文などの紋様は、まずは一般的な意味でのデザインとして考えておくべきでしょう。何からの意味はあったのかもしれませんが、いまそれを一概に想定することはできません。しかし中期の極めて立体的な造型の土…
ひとつ考えておかねばならないことは、現代社会が本当に定住社会なのか、定住社会とはそもそもどのような状態をいうのか、ということです。これは、考古学者・人類学者の西田正規さんが指摘していることなのですが、よくよく考えてみると、現代もよほど流動…
難しいですねえ。これは想像でしかありませんが、やはり落葉広葉樹林や照葉樹林のなかで、動物たちが堅果類を食べているのを目撃したのが、主な契機でしょう。しかし、生の状態で食べるのは堅いし、美味しくないし、消化できずに腹を壊してしまう場合もある…
縄文時代の土偶は、草創期から晩期までの1万年ほどにわたって、本当に多様な形状、大きさのものが発見されています。それゆえにその機能、役割についても、一括りに定義するのではなく、時代・地域による多様性を認めたほうがよい、という見解が最近強くな…
移動生活者は、変化に富んだ環境のなかを水や食料を探し、危険を避けながら移動してゆくので、そもそも、定住生活者に比べ自然環境の変化、気候や地形から得られる情報に対して敏感なのです。前もって避けられる危険にはあえて近寄らない、そうした点も含め…
殷代の熱卜については、かなりシステマチックに整備された状態で運営されたことが分かっています。まず卜占を行う貞人たちですが、やはり専門技術者集団で、卜府と仮称される機関に所属していました。そこへは牛の肩甲骨、亀甲などが支配領域の各所から届け…
屈葬については、大別して2つの理解の仕方があります。ひとつは、死霊が災禍なすものとして回帰することを防ぐため、もうひとつは、胎児の姿に戻すことによって再生を願ったのだというもの。いずれも、かつて文化人類学で議論となった、祖先崇拝はなぜ始ま…
授業ではお話ししませんでしたが、縄文中期、巨大集落が一度解散してまた再集合するような場合に、幾つかの人骨を合葬した再葬墓が登場します(茨城県中妻貝塚、千葉県祇園原貝塚、千葉県宮本台遺跡など)。分散した「家」の象徴である祖先=人骨を、人びと…
これについては、日本列島側に史料になりうるものが残っていないので、何ともいえません。しかし縄文時代の場合、こうした変化が顕著にみられるのは主に関東以北、東北地方なので、中国の直接的影響下にはないものと思われます。東シナ海を挟み、中国の江南…