律令厳密主義と律令現実主義との対立から長屋王の変が起こったとのことですが、武智麻呂は具体的にどのような点で律令を変える必要を感じていたのでしょう。

武智麻呂は、近江国守として地方政治を経験し、民衆が現実にどのような行動をとるか具に観察してきました。例えば、このとき上奏して認められた寺院合併令では、国家の財政支援を受けた豪族たちがその利益を目的に造寺に明け暮れ、結果実態を伴わない寺院が林立したため、同一地域の寺院を合併するといった現実的措置を採っています。武智麻呂も、律令の風俗矯正機能は重視していたでしょうが、それへの固執が把握すべき民衆の実態を歪めてしまう点に、危惧を抱いていたと考えられます。