光明子は非常に高い教育を受けたとのことですが、具体的にはどのようなことを学んだのでしょうか。また、どのように行われたのでしょう。家庭教師など付いたのでしょうか。

恐らくは、早くから首皇子へ嫁がせるために育てられているので、キサキとして振る舞うに相応しい教育は施されていたでしょう。『楽毅論』と『杜家』のみがそれを知るよすがですが、内容的なことまで意味を持つとするのは穿ちすぎかも知れません。ただし前者の方は、一応は〈忠〉を扱った文献であり、またひとりの人物に対する後世の評価を問題としているので、単なる王義之書の書写以上の意味を持った可能性があります。