Kさんの報告についての講評

 Kさんは、注釈書とテクストを対照しながら読んでくれたようですが、ヲコト点に対する理解が充分ではなかったようですね。また、授業でもいいましたが、九月癸丑朔乙卯条が途中で分断されていて、本当ならば「復た諸国に課て船舶を造らしむ」まで含まなければいけないところです。内容としてもここが重要な箇所のひとつで、舒明天皇が造営を始めた反蘇我勢力の拠点たる百済大寺を皇極が受け継いで造ろうとしたこと(ゆえに宗教的能力の点で僭越な蘇我氏を乗り越えたことが語られる)、それが舒明の関係氏族たる息長氏の拠点、近江と越の民を徴発して造営されようとした点が大切です。皇極の背後で、未だ反蘇我勢力が息づいていることをうかがわせます。また、蘇我蝦夷の行った仏教儀礼の意味も大事です。「手に香炉を執りて」とあることから柄香炉が用いられていることは明らかですが、これを持ち空間を清浄化する様子は、天智天皇十年十一月丙辰条にみられます。ここでは大友皇子に随従する蘇我赤兄ら家臣団が、皇子への忠誠を誓っているわけですが、この方式の儀礼蘇我氏内部に受け継がれていたとも考えられそうです。このほか、柄香炉を持った姿は「聖徳太子孝養像」にみえますが、これが悔過する姿だとすれば、彼は廃仏の罪を受けて病を得た父天皇の罪を濯いでいるのかも分かりません。それからもう一点、やはり雨乞いのところに出てくる殺牛馬ですが、「河伯」に祈ると書いてあるところがネックです。雨乞いの対象が河神であることは何ら不自然ではないのですが、「河伯」は中国の黄河の神のことで、『書紀』では全巻中2カ所にしか出てきません。内容的にも表現的にも中国色が濃い記事であるといえます。