そもそも、死=穢れなのはなぜでしょう。私にとって死者は違う世界へ行った者であり、恐れの気持ちはありますが穢れという観念はないように思います。

穢れとは何かを解明することは、宗教学・人類学・民族学歴史学などにおける大きな課題なのです。その追究の歴史については、拙稿「ケガレをめぐる理論の展開」(服藤早苗他編『ケガレの文化史』森話社、2005年)を参照してください。日本古代においては、死の穢れは、死体に対するプリミティヴな嫌悪感と、死という他界的現象の持つ災厄を呼ぶエネルギーの、二つの意味の狭間に成立してきたと考えられます。9〜10世紀をひとつの画期として、そのエネルギーが一定の法則をもって伝染し他へ影響を及ぼすという観念が確立、制度化されてゆくことになるのです。