2008-04-18から1日間の記事一覧

我が家ではペットを火葬にすることに抵抗があり、庭の隅に毛布やドッグフードとともに埋葬しています。動物の埋葬に関してはどのようなことがいえるのでしょう。

昨年、愛知県田原市の吉胡貝塚(縄文時代後期〜晩期)で、乳児と子犬が合葬されていたとして話題になりました。狩猟などに使われ人間と親しい関係にあった証拠であるといわれています。しかし、私は少々そういう現代的見方に疑問を持っていて、中国での犬の…

私の祖父のお骨は少量ずつ数ヶ所に分けて納められています。関東ではそうしたことはしないのですか。

分骨ですね。関東でもあります。この慣習を支えるメンタリティーが、仏教の舎利信仰に由来するのか、それとも縄文以来の骨に対する意識に繋がるのか、考察してみると面白い問題です。

骨を遺棄できる関西とできない関東のメンタリティーには、どのような相違があるのでしょう。

骨を遺棄できるから関西は薄情冷淡で、関東は温厚篤実であるということではないでしょう。講義でお話ししたように、京都の存在によって王朝国家のケガレ観が強く浸透した関西では、骨に対する忌避意識も周辺より高くなったのではないでしょうか。また、葬式…

関西と関東で骨に対する穢れの意識が異なるのなら、墓参の習慣にも違いがあるのでしょうか。私は関西出身ですが、毎年命日には親族が集まり墓参りをします。関東ではしないのですか?

これは宗派によって違いがあるのだと思います。しかし浄土真宗に限っていえば、関西では月忌法要も欠かさず勤修しているようですね。京都には本山があり、大阪はもとの寺町でしたから、檀家と檀那寺との結びつきが緊密なのでしょう。関東でも墓参りはありま…

そもそも、死=穢れなのはなぜでしょう。私にとって死者は違う世界へ行った者であり、恐れの気持ちはありますが穢れという観念はないように思います。

穢れとは何かを解明することは、宗教学・人類学・民族学・歴史学などにおける大きな課題なのです。その追究の歴史については、拙稿「ケガレをめぐる理論の展開」(服藤早苗他編『ケガレの文化史』森話社、2005年)を参照してください。日本古代においては、…

熊野では以前に風葬が行われていて、烏に遺体を啄ませており、その際に「ケガレ」「生命の再生に重要な役割を持つ神聖な動物」というイメージが分かれたと聞きました。現在の烏の印象は前者が強く残ったものでしょうが、他にも死体を処理した動物はいたはずなのに、烏のみにそうしたイメージがあるのは不思議です。

烏には、もともと中国から引き継いだ神的イメージがあります。太陽のなかに住むとされた三本足の烏は、そのままタカミムスビの使者であるヤタガラスとなり、神武を導きます。熊野の烏はこのヤタガラスですね。他にも厳島神社など、烏を神もしくはその使者と…

遺棄葬は骨に対する執着があまりないように感じるのですが、中世日本の庶民にとって「骨」とはどんなものだったのでしょう。

詳しくは後日扱いますが、霊魂のメディアとはいえないようですね。ただし、白骨化したあとに洗浄し、拾い集めてもう一度埋葬するという事例もありますので、中世庶民全体が骨に対し淡泊であったとはいいきれません。

三牲に羊が含まれていますが、『聖書』にも代表的犠牲獣として登場します。なぜ東西で重要な位置づけをされているのでしょう。また、日本ではどう考えられていたのですか?

羊は牧畜の生業に関わる犠牲獣です。ユダヤ・キリスト教的文脈においても、中国的文脈においても同様です。羊を遊牧・放牧する慣習のなかった日本では、馴染みの薄い獣であったと思われます。

三牲に「豕」が含まれていますが、「宀」=廟とすると、「家」は「豕」を犠牲に捧げる場所という意味になるのでしょうか。

白川静『字統』によれば、金文では「家」の「豕」の部分は「犬」となっているようです。つまり、犬を供犠する祓除の建築儀礼を行って建てたもの、甲骨卜辞では祖先を祀る施設を指すらしいですね。祖先に捧げる供物としての豕と、祓除の役割を果たす犬が、後…

中国の南宋時代の武将岳飛は、金対策をめぐって秦檜と対立し謀殺されたものの、その後祀られて神となり、一方の秦檜は売国奴として堕とされました。しかし日本では、菅原道真は神格化されても、政敵の藤原時平は堕とされていません。これは、日本以上に中国が死者の厲鬼を恐れているとみてよいのでしょうか。

まずはケースバイケースでしょうね。岳飛の場合は漢民族と女真族との戦争という背景があり、後世の評価も中華思想によって大きく偏向してしまっています。同じ漢民族のなかならば、例えば神格化される関羽を倒した呂蒙や曹操は、祟りを受けて頓死したとの伝…

別の授業で、「人は自分が死ぬときに自らの死を認識することが大事であり、死を認識できない突然の事故死などは恐ろしいことだ」と聞きました。幼児の厲鬼が帰ってくることについて、幼いために自分の死が認識できず生前のように暮らしている、その結果家に被害が出てしまうとは考えられないでしょうか。

戦国期の中国人がそう考えたのではないか、ということですね。ありえないことではありません。ただ、睡虎地日書『詰』の文言からみる限り、幼児の死者もまた教え諭すというより祓除されているので、そこに微細な心情の動きを読み取ることはできません。私も…

「骨と祖先」の単元の参考文献です。後日増補の可能性あり。

アリエス/伊藤・成瀬訳 1983(1975)『死と歴史―西欧中世から現代へ―』みすず書房イェンゼン/大林・牛島・樋口訳 1977(1966)『殺された女神の神話』弘文堂磯前順一 1994 「土偶の儀礼過程」同『土偶と仮面・縄文社会の宗教構造』校倉書房市毛勲 1998 『…