追葬という発想はどのように生まれたのでしょう。また、どんな関係の人が追葬されたのですか?
基本的に、古墳は政治的首長が埋葬される墓なのですが、横穴式石室の導入により、その親族へ範囲を拡大して追葬が始まります。1)兄弟関係、2)父子関係、3)2)に家長の妻が含まれるものの3パターンが基本です。これは1)から3)へ、すなわち親族構造の父系化への時系列的に変化とみてとれますが、渡来系習俗との融合も重要な要素で、単なる時間的変遷ではないと考えられています。どの親族までを古墳に埋葬するかによって〈家族〉のありようが変わってくるわけで、親族・家族の形態と墓の構造・埋葬観とが相互構築的に変化してきたということでしょう。しかし、そもそも「同じ墓に入れる」ことが心情的に理解すべき事柄なのか、それとも首長墓としての古墳の政治性において理解すべき問題なのか、慎重な検討を要します。