2008-05-09から1日間の記事一覧

現在、子宮型の墓は沖縄に少数残るのみだと思いますが、なくなったのは仏教の影響でしょうか。また、日本の墓が現在のような形になったのはいつ頃ですか。

確かに、仏教的な他界観が〈死と再生〉の思想に与えた影響は大きいでしょうね。後に触れますが、性的な再生の概念は、輪廻や浄土往生のなかへ解消されてゆくと考えられます。女性のありようを罪業視したこともひとつの原因でしょう。しかし、日本の祖先祭祀…

追葬という発想はどのように生まれたのでしょう。また、どんな関係の人が追葬されたのですか?

基本的に、古墳は政治的首長が埋葬される墓なのですが、横穴式石室の導入により、その親族へ範囲を拡大して追葬が始まります。1)兄弟関係、2)父子関係、3)2)に家長の妻が含まれるものの3パターンが基本です。これは1)から3)へ、すなわち親族構造の父…

死者の国=玄室なら、「羨道」にはその国への憧れという意味もあるのだろうか。

どうなんでしょう。字義からすれば、恐らくは「墓室から溢れ出たような狭い余りの道」という程度だと思いますが。

横穴式石室は、完成までどれくらいの期間を要するのでしょう。

規模によって時間の長短はあるでしょうが、仮に多数の労働力が必要な作業を農閑期に限定した場合、数年に及ぶ歳月を費やしたと考えられます。構築過程の基本は、a)築造の諸準備(築造計画の立案・設計、選地、石材の選定、労働力の確保)→b)石室の基礎地形…

古代の人々は、女性の体内に子宮という器官があることをなぜ知っていたのでしょう。

同時代の中国医学では、すでに解剖学的知識はあったはずです。日本列島でも知られていた可能性はあります。しかし、子供を産む女性の腹部自体を袋、子宮と捉えていたと考えた方が自然かも知れません。

前方後円墳の形は、なぜ前方部分が特徴的に台形になっているのでしょう。

憶測ですが、祭祀を行うために巨大になっていったのと、やはりベクトルが円の中心へ収斂されていっているからだと思います。前方部分はやはり付属施設であり、すべては死者の埋葬施設に連なるものだという形状でしょう。

縄文後期の弧状配石では、柄鏡の円の部分ではなく弧に墓があったのに対し、前方後円墳では後円面白いところに気がつきましたね。部分に埋葬施設があるのは、何か思想の変化があったのでしょうか。

円の中心にはパワーの源が設定されていると考えられます。環状集落の墓地しかり、前方後円墳の円墳しかりです。弧状列席の場合は、柄鏡の部分に死者を祭祀するシャーマンが住んでいる。そういう意味では、祖先の力より、それをコントロールする宗教者の能力…

方形周溝墓や円墳の形状は、死と再生の円環と関連するのでしょうか。

円墳や帆立貝型墳には、縄文以来の円環形状へのこだわりをみてしまいますね。当然、縄文―弥生―古墳の文化が一繋がりに結合しているわけではないのですが、底流としてそうした発想は受け継がれているのでしょう。ただし、方形周溝墓に円環の思想を反映させて…