現在、子宮型の墓は沖縄に少数残るのみだと思いますが、なくなったのは仏教の影響でしょうか。また、日本の墓が現在のような形になったのはいつ頃ですか。

確かに、仏教的な他界観が〈死と再生〉の思想に与えた影響は大きいでしょうね。後に触れますが、性的な再生の概念は、輪廻や浄土往生のなかへ解消されてゆくと考えられます。女性のありようを罪業視したこともひとつの原因でしょう。しかし、日本の祖先祭祀・先祖供養の思想・方法は、在来のものに仏教・儒教の融合した独特な形態になっていますから(例えば位牌は儒教のもの)、単に仏教のみの影響ともいえないようです。ちなみに、庶民の墓が現在のような石塔墓になってゆくのは江戸期で、それまではせいぜい木や石で目印が付けられる程度、数十年経つと忘れ去られてしまうのが一般的だったようです。