オルフェウス神話と黄泉国神話を比較したとき、後者の方が気味が悪いのは、日本のホラー映画が恐いといわれるのと同じで、死に対して負のイメージが強いからなのでしょうか。

そうとばかりはいえません。授業でお話ししたように、やはり神話としての段階が相違するからでしょう。ギリシア神話が演劇としての洗練度を「美しい悲劇」の方へ高めているのに対して、日本の黄泉国神話の方は、国家的編纂事業とはいえ喪葬儀礼の近くに位置する。〈死〉への感覚がより近いということだと思います。いわゆるJホラーの怖さは、情念の怖さと皮膚感覚の怖さだと思います。前者は近世怪談のもの、後者は近年の都市伝説、映像表現でいえば、その空気感をうまく活かした中田英夫『リング』以降のものです。現在ハリウッド等でもてはやされているのは後者の方ですが、これは「日本独自の...」ということではなく、アメリカ人の時代感覚にも近い恐怖だったからウケたのでしょう。