古代国家は仏教を支配のイデオロギーとして称揚しますので、当初は氏寺も含めた全寺院に財政的援助を行いますが、やがて国家公認の寺院や官営寺院のみを保護するようになってゆきます。その転換点のひとつになるのが霊亀二年(716)の寺院併合令で、豪族が利潤を得るために信仰のない造寺を行い、結果多くの伽藍が荒廃してゆく現状が批判されています。しかし、寺の経済活動が全面的に禁止されていなかったことは、東大寺の荘園が国家事業として展開された事実からもうかがえます。徴利についても、出挙が公然と行われているところをみると、これを罪悪とする発想はなかったようです。