瓦を焼く技術の発展、瓦を載せる建物を建てられるようになったことは、やはり大きな進歩だったのでしょうか。
このような展開を通して、徐々に古代人の自然認識が変質していったとすれば、やはり大きな変化でしょう。瓦の大量生産、それを載せることのできる木材の伐採、それらが藤原宮造営で可能になったとすれば、以降の時代においても前代ほどの心理的抵抗なしに開発が遂行できる。どこまでやれば神が怒るのか、どこまでやれば祟りが下るのか、その瀬踏みが先へ先へと延ばされてきた結果が、現在の環境破壊を容認する意識へも繋がってきていると考えられます。