式年遷宮が20年から21年に変わったのには、何か理由があるのでしょうか。

20年の式年造替が破綻してゆくのは、内宮でいうと元亨三年(1323)、外宮でいうと正中二年(1325)のことです。恐らく、元寇から鎌倉幕府滅亡に至る社会的混乱が原因で、遷宮を支える経済的基盤が安定しなかったせいでしょう。その後、応仁の乱によるまったくの空白期間も含め、造替年数はまったく一定しませんでしたが、寛永六年(1629)の第43回遷宮に至って21年に整えられます。家光は武家・公家・寺社等の諸制度を整備していますから納得できるのですが、このときなぜ21年一替となり古制の20年に戻さなかったのかは不明です。