『もののけ姫』における人語を話す神/話さない神は、動物/植物という分け方のようにもみえます。生物とそれを動かす原理、もしくはそれに宿る神という対立のようにも感じます。植物性だけではない岩などにも、神が宿るという考え方はどうなのでしょうか?

レジュメにも書きましたが、もちろん植物性を持つか否かで類別することもできます。木霊はともかく、鹿をモチーフにしたシシ神になぜ植物性?と考える人もいるでしょうが、鹿の角や足はよく樹木の枝や幹に喩えられたりするんですね。シシ神の角は、通常の鹿以上に樹木的なデザインになっているので、その性格を意図的に強調したのでしょう。猪神や犬神が森林に寄生する動物であるのに対して、木霊やシシ神はその森林を象徴する存在という位置付けなのだと思います。ちなみに日本にも、早くから石や岩に神性を認めるメンタリティーがありました。六世紀頃から明確化して歴史時代の神社へと繋がってゆく祭祀遺跡は、概ね神霊の宿る巨岩=磐座(いわくら)を祭祀の対象としています。一般に神体山を日本最古の神社の形式と捉える考え方がありますが(本殿を持たず、三輪山へ向けて拝殿の作られている大神神社が最古といわれる)、これは正確な見解ではありません。『日本書紀』にも『古事記』にも、山自体を神の身体とみる記述は明確に存在せず(管見の限り、平安時代の『叡山大師伝』にみえる九州香春神宮寺の記事にまで下る)、ほとんどが「○○に坐(いま)す神」と表記された磐座信仰です。正倉院に匹敵する国際性豊かな祭祀遺物を持つ沖の島(のち宗像大社)にも、もちろん大神神社にも、巨大な磐座を確認することができる。岩に神霊が宿るというモチーフは、日本列島の在来信仰の核をなすもののひとつとみていいでしょう。