『ポニョ』のラストシーンですが、なぜ生命力溢れるような終わり方ではなく、母親同士の話し合いでエンディングを迎えてしまったのでしょうか。

これもいろいろな解釈が可能でしょうね。これは非常に男性的な意見ですが、宮崎駿にとって、やはり命を産み落とす母親は自然の代名詞なのでしょう。男性=文化、女性=自然という意味づけは、フェミニズムジェンダー研究によって、女性の可能性を限定し束縛するものとして批判されています。そのとおりだと思いますが、宮崎駿の描く〈自然と直結する生きる力〉は、母親と子供との繋がりなしには成立しないのではないでしょうか。生命の可能性そのものであるポニョが人間になるということは、ある意味で自然の矮小化に他なりません。しかし、豊饒なる海の力の象徴であるグランマンマーレにとっては、人間も等しく海の子供、自分の子供である。ポニョが人間になったことは、(こういう譬え方をするとキリスト教の側も宮崎駿も怒るかも知れませんが)、イエス受肉したのと同様に、人間にとって希望なのだといえるかも分かりません。