2008-12-17から1日間の記事一覧

先生のブログに『ICO』『ワンダと巨像』『大神』というテレビゲームが並べて紹介してありました。これらは、先生のいうアニミズムや、神々と自然の不気味さをよく表していると思いますが、先生のお考えはいかがでしょう。

そうですね、これは比較して論じると非常に面白いテーマだと思います。前二者はどちらかというとヨーロッパ的(北欧もしくはイギリスの臭いがします)なアニミズムを湛えていますが、石と草原が主要な舞台で、森林がほとんど出て来ないのが特徴的です。精霊…

宮崎駿が、アニメーションは体験に基づいて描くものとしていることについて。体験したものでないと描けないのであれば、死ぬシーンは死んでいない人間には描けないと思います。説得力のない表現に共感できないのには同意しますが、私は経験を超えた表現は必死になって想像するという愛情に基づくものであればよいと思うし、またそうでなければならないと思います。表現というものは。

基本的にはぼくもそう思います。人間にとって最も大事なのは想像力で、それによって経験を超えることも可能です。しかし自覚しておかなければならないのは、その想像力にも限界があり、またその可能性は経験によって培われるということです。質問では「死」…

『ラピュタ』はアニミズムに関係ないのでしょうか?

関係ありますね。とくにラピュタの核が巨大な樹木であり、そこに動植物の楽園が広がっていること、人間が存在しないことが重要です。地球軌道を回る巨樹の絵は美しいですが、しかし、アニミズム的な意味での深まりはあまりみえません。人間と自然との関係も…

宮崎駿は、自然と人間との関係など、子供たちに問題意識を持たせたいと思って作品を作っているのでしょうか?

子供が面白がってくれるか、楽しんでくれるかというのが重要な課題でしょうが、「子供が生まれてきて良かったと思えるように」という発言を最近よくしています。「よかった」の前提には、とうぜん「よかったのか」という疑問、もしくは絶望があるわけです。…

『ポニョ』のラストシーンですが、なぜ生命力溢れるような終わり方ではなく、母親同士の話し合いでエンディングを迎えてしまったのでしょうか。

これもいろいろな解釈が可能でしょうね。これは非常に男性的な意見ですが、宮崎駿にとって、やはり命を産み落とす母親は自然の代名詞なのでしょう。男性=文化、女性=自然という意味づけは、フェミニズムやジェンダー研究によって、女性の可能性を限定し束…

宮崎駿は『ポニョ』を作るとき、『人魚姫』からキリスト教色を払拭したものを題材としたようですが、ポニョが水の上を歩くシーン、確かイエスも似たようなことをしていましたよね?

「キリスト教色を払拭」というのは、キリスト教が護教的に自己を正当化し、その教義を強制し、それに反するものを排斥するベクトルを除くという意味でしょう。水の上を歩くという神話的表現は、何もイエスの専売特許ではありません。絵コンテに書いてあるよ…

補足資料に出てきた、「寝かせたガラスに描いたように平らなやつが、ゆっくり回りながら遠ざかってゆく」というところのイメージが湧きませんでした。どういうことなんでしょうか?

これは想像力が試されるところでしょう。読んで字のごとくで、ガラス板に描いたような二次元的な絵が、ゆっくり回りながら遠くなって行くということですね(何の説明にもなっていないか)。『銀河鉄道の夜』のなかに、黒曜石でできた銀河の地図が出てきます…

『千と千尋の神隠し』を心理学的にみると、少年少女の成長を表しているのだと聞いたことがあります。同じ映画でも、アプローチの仕方でずいぶんみえてくるものが違うのだと思いました。

映画というものは、必ずしも制作者の意図に従って観なければいけないというものではありません。ただし作家論として考えるならば、「少女の成長を描いている」という〈分かりやすい見解〉は、宮崎駿の意図とは違っています。彼はインタビューのなかで、「『…

ハクが最後に千尋と別れる際、現実世界でまた会おうというようなことを言ったというが、そこにはもうハクの居場所はない。ハクはそれを理解していなかったはずはないと思うが、なぜそんなことを言ったのだろうか。

いろいろな読み方ができると思いますので、何も正解を見つける必要はないでしょう。個人的には、これもアシタカの最後の台詞と同じ〈希望〉であると考えます。琥珀川は埋め立てられてしまったけれど、そこを流れていた水は、恐らくは地下水として巡っている…

神様の名前の話のところで、千尋とハクが本当の名前を奪われるというエピソードを思い出しました。『ゲド戦記』の原作でも、名前はとても重要なものとして描かれていましたが、古代の人々は名前をどのように捉えていたのでしょう。

古代においては、名前はひとつの物語です。氏族の持つウジ名やカバネ名は、自分たちの生活する地域との関係、王に奉仕するに至った理由などを体現する記憶装置でもある。名を負うということは、物語を背負う、父祖から自分へと繋がる歴史を担うことでもある…

先日たまたまCMを見ていたら、宇宙飛行士の毛利衛さんが木に囲まれた道を歩きながら、里山について「日本人は古くから共生のあり方を知っていた」というような発言をしていました。CMになるほど、現代の里山認識は間違っているということでしょうか。

このCMについては、以前にも講義のなかで言及しました。まさに歴史的認識の欠如した里山観で、残念なことにこちらの方が一般的な考え方なのです。現在の環境問題は政治や経済と密接に関係していますし、共生概念は日本人のアイデンティティを表すものにもな…