里山は、放っておいても豊かにはならないのではないですか。適度に木を伐ったり、手入れをしないと、里山は死にます。

よく勉強していますね。ある意味では正しいのですが、ある意味では間違っています。まず、里山が豊かということが、いかなる状態を指すのかが重要です。人間にとって豊かという意味なら、里山自体、人間が生活に利用するために構築した疑似自然環境ですので、生態系にとっては豊かではないことになります。生態系的に豊かというのは、人間が原植生を攪乱することで、今までそこにいなかった生物が生活領域を獲得し、生命に多様性が生まれうるということですが、これ結果論であり、「人間が手を入れたから豊かになった」とするのは傲慢です。近年、農村の過疎化によって里山の荒廃が進んでいますが、それは前者を指していうことが多いので注意が必要です。確かに、人間が一度手を入れ管理しようとした森林は、人間が放棄することによって荒廃してゆきますが、それは、その地域の自然条件に最も適合した植生(極相といいます)に遷移してゆく途中に過ぎません。里山の方が、自然に適合的ではないのです。