2009-04-13から1日間の記事一覧

高校で日本史を学んでいたのですが、私の思想は少し右寄りになっている気がします。日本で学んだ日本史だからでしょうか。

近年の中学・高校教育では、「日本人としての誇りを育てる」ことが重要な指導項目として指示されています。高校での日本史は歴史学ではなく、国語に対応する国史ですから、そうした規制が働いても仕方ないのかも知れません。国民結集のためのアイデンティテ…

高校での歴史は無名・匿名で「問題」であるというのは、真実でないことを真実であるかのように錯覚してしまう点で、確かによくないと思いました。ただ、この考え方を、教科書の前書きにつけるくらいしか、対処法がないと思います。あらすじを覚えることが一番大事なのではないでしょうか。

確かに、高校までの歴史教育では仕方がないのかも知れません。しかし、教員も生徒も自覚しておかなければならないのは、教科書の記述も、そしてそれをもとになされる教員の授業も、すべて仮説であるということです。とくに、教科書に書かれている通史=あら…

歴史研究は主観的だと仰っていましたが、人はいつでも主観的であると思いました。客観的、普遍的はないと思います。あると思うのが、それ自体が主観的ではないでしょうか(ないと思うのもそうかも知れません)。

哲学的省察を加えるとそう考えがちなのですが、実は「客観はありえない」という言明は不正確なのです。確かに、完全な客観は成立しません。しかし、人間は幼児から成長し社会化してゆく過程で、身体も精神も社会に適合的に振る舞うよう形成されてゆきます。…

里山は、放っておいても豊かにはならないのではないですか。適度に木を伐ったり、手入れをしないと、里山は死にます。

よく勉強していますね。ある意味では正しいのですが、ある意味では間違っています。まず、里山が豊かということが、いかなる状態を指すのかが重要です。人間にとって豊かという意味なら、里山自体、人間が生活に利用するために構築した疑似自然環境ですので…

環境によって、文化が共通しているという話に惹かれました。ということは、植物以外に、海の潮の流れが同じ地域も共通の文化を持つということもありますか?

ありうるでしょうね。ただし、いくら同じ海流が流れていても、人間が生活を営む地域の地形・植生・住んでいる動物などが違えば、文化はそれぞれの固有性をもって展開してゆきます。海流は広汎な地域をめぐってゆきますから、それらにある共通性は、同一の環…

照葉樹林文化論という考え方を初めて知りました。シルクロードによる文化の伝播と同じようなことになるのでしょうか?

シルクロードによる文化交流は「伝播」ということですが、照葉樹林文化論のそれは、生態学的共通性ともいえるものです。もちろん伝播がないわけではないのですが、伝播がなくとも、同じような環境のもとに同じような文化が構築されるというのがポイントなの…

昔の里山が緑で溢れていなかったという事実にびっくりしました。でももし禿げ山であったのなら、例えば「桃太郎」で「お爺さんが山へ芝刈りに……」とありますが、あれは何をしにいっていたんですか。

いいところに気がつきましたね。この桃太郎のお爺さんの行動こそ、室町期以降に禿げ山、草山、柴山としての里山を考えるうえで重要なヒントを与えてくれているのです。現在、「昔は田畑に肥料として何を与えていたのか」と問うと、たいていの人が「堆肥」と…