歴史研究は主観的だと仰っていましたが、人はいつでも主観的であると思いました。客観的、普遍的はないと思います。あると思うのが、それ自体が主観的ではないでしょうか(ないと思うのもそうかも知れません)。

哲学的省察を加えるとそう考えがちなのですが、実は「客観はありえない」という言明は不正確なのです。確かに、完全な客観は成立しません。しかし、人間は幼児から成長し社会化してゆく過程で、身体も精神も社会に適合的に振る舞うよう形成されてゆきます。これは、無意識にも集団的な規律、他人のものの見方を想定し判断して行動しているからで、この客観性によって社会活動が成り立っているのです。主観的なだけでは社会は成り立ちませんから、完全な客観がありえないのと同様に、完全な主観も存在しません。自分が主観的な見解だと思っても、大部分は、これまで聞いてきた様々の他者の意見を取捨選択し、また社会的に適合的かどうか判断して構築されたものである場合が多いのです。そうした行動の積み重ねによって、極めて小規模な友人関係から、多人数からなる共同体や階級、階層などが再生産されてゆくわけです。
ちなみに、主観・客観という言葉と、主観主義・客観主義という言葉は、持っている厳密な意味が違います。自分の頭で考えたことを大事にしながら、いろんな知識を吸収して考察を深めていってください。