『日本書紀』には虚構といえる記事が多いのは分かりました。そうした記事を考えたり、漢籍から引用してきたりする特定の役職の人がいたのでしょうか。そういう部署があって複数の官人が頭をひねっていたのですか。また、他の宮廷の人々や一般民衆はその「捏造」をどう考えていたのでしょう。

現在、『日本書紀』の編纂過程の解明は、日本古代史学界でも最もホットな課題のひとつです。国史の編纂は、宮廷の図書を管理する図書寮という役所や、臨時に設置される撰国史所などによって行われますが、『書紀』の場合はその実態がよく分かっていません。実際に文章を作成していった文人官僚を特定するのは困難ですが、現在の研究水準では、留学経験のある学者・文人や僧侶、中国や朝鮮からの渡来人が深く関わったとみられています。『書紀』を構成する各巻にみえる文章の癖、引用の傾向などによって、どの時期にどういった性質の人物によってどの巻が作られたのか、ということは、おぼろげながら分かってきていますので、将来的にはさらに明確な像の浮かび上がることが期待されます。『書紀』は一般庶民に読まれることはなかったと思いますが、国家を構成する官人たちには、完成直後から講書(『書紀』の内容を説明する講義)が行われています。史書の編纂は7世紀前後から始められてきたようですが、口頭伝承の世界も並行して存在していましたので、当時の人々には歴史叙述というメディア自体が極めて新しいものであったと考えられます。「事実をそのままに」といった近代的歴史観は、もちろん持ち合わせていなかったでしょう。歴史は神話に直結するものであり、時代や社会の要求に応じて、時に姿を変えてゆく(書き換えられてゆく)ものだったのです。