『日本書紀』が作られた意味が、日本がいかに文明的であるかを隣国に示すためであったなら、『古事記』や『風土記』もそうなのでしょうか。

古事記』や『風土記』は、『日本書紀』とは異なる独自性、固有の編纂方針を持っています。『古事記』は内容の多くを『日本書紀』と共有していますが、8世紀宮廷社会のアイデンティティーを語るものとして編纂されたため、構成自体が『書紀』とは大きく異なります。例えば神話を記した箇所について、正式な史書としての客観性を重視した『書紀』は、本文の他に幾つかの異伝を列挙する形式を採っていますが、『古事記』は数多存在したはずの異伝を取捨選択し、強引に単一の物語を作り出しています。天地開闢やアマテラスの誕生が書かれている点では共通しますが、天地の生成のされ方、アマテラスの誕生の仕方は、実はこの二つの書物ではまったく異なるのです。一方の『風土記』は地方誌で、各地の実態を調査把握するという政治的目的の他に、天皇が全国を収攬支配している証としての意味を持っています。大化前代には、地方豪族が大王への服属の証として風俗歌舞などを奏上する儀礼が存在していましたが、『風土記』はその文書版ともいえるでしょう。やはり、記事によっては本当に当時の地方の実状を伝えたものか疑問に思われるものもあるので、他の史資料と比較検討しつつ批判的に読む必要があります。